入学式当日、ルーシーに連れられてキングズ・クロス駅へやって来たタミは大きなカートを押していた。
プラットホームに向かう間、タミは頻りにハリーの姿がないか探した。けれどハリーの姿はどこにも見当たらない。
「ハリー、分かるかなぁ……」
マグル――非魔法族の総称だ――の親戚は九と四分の三番線なんて分からないだろうし、ハリーと一緒に探してくれるとも思えない。もしハリーがプラットホームを見つける事が出来なかったらどうしよう。不安を滲ませるタミを安心させるようにルーシーが肩に手を置いた。
「十一時までに駅にくれば、あちこちにホグワーツの生徒達がいる。大丈夫、きっと分かるよ」
「でも……ママ、ゲートの所で待っていたらダメ?」
「気持ちは分かるけど、トランクを列車に乗せないと。席を取らないと座る場所がなくなっちゃう」
「でも……ねぇ、ハリーはまだ来ないの? 分からないの?」
「言っておくけどね、タミ」
真剣な表情で顔を寄せてきたルーシーが、タミの額に己のそれをこつんとぶつけてどこか拗ねたように言う。曰く、
「吸血鬼は血を吸う鬼であって、犬じゃないのよ」
「ご、ごめんなさい……」
「分かればよろしい」
腕を組んでわざとらしく偉ぶるルーシーに吹き出すと、ルーシーも笑い出す。ハリーの事は心配だけれど、ルーシーの言う通りどうにかしてゲートをくぐってくるだろう。
それに、タミはハリーの事だけを気にしてはいられなかった。
”魔法薬学教授の娘”――きっと学校中で噂されるに違いない。嫌われ者の”スネイプ教授”の娘なんて、彼を嫌う生徒達からすれば格好の餌食なのだと、昨夜セブルスが苦い顔で言っていたのを思い出す。迷惑をかける事になるかもしれない、タミが傷つくかもしれない。頬を撫でる指先は優しく、見つめる目には心配が滲んでいた。そんなセブルスにタミは笑ってみせたけれど、不安なものは不安だ。
「ママ……もし、もしもよ?」
「うん?」
立ち止まったルーシーにタミは視線を泳がせながら「昨日の夜の事」と呟きを落とす。
「もし、パパの言った通りになったら……」
「怖い?」
「…………少しだけ……パパには言わないで……」
「分かってるよ」
不安を拭えないタミの頬に白く細長い指が触れた。身を屈めたルーシーが優しく見つめている。不意にこみ上げそうになった涙を飲み込んで俯くと、額に柔らかい感触。唇を振れさせたままルーシーがくすりと笑った。
「大丈夫よ、タミ」
「……本当?」
「じゃあ、私が必勝法を教えてあげる」
「本当?」
必勝法。勝つ事が出来るのだろうかと期待に目を輝かせれば、ルーシーはタミの柔らかい頬をつつきながらハリーの名前を口にした。
「ハリーがどうかしたの?」
「あの子と一緒にいれば良いわ」
「でも、そうしたらハリーも……」
「大丈夫よ。ママを信じて」
戸惑うタミを安心させるようにルーシーが力強く頷いた。言っている意味はよく分からないけれど、ルーシーが言うのならそうかもしれない。ハリーの傍にいればセブルスが危惧するような事は起きないかもしれない。
「――分かった」
「それから、寮の事だけど」
「パパはスリザリンになったら嬉しいって言ってたよ」
「そうね。でも、それじゃダメ」
「どうして?」
タミは目を丸くした。ルーシーがセブルスを否定するなんて滅多にない事だ。
セブルスの監督する寮に入りたいと思っていた。ハリーと一緒にそこに入れたら良いと、そう思っていたのに。
「セブルスの事なら大丈夫よ。貴方がどの寮に入ったって嫌いになったりしないわ」
「でも……」
「ハリーと一緒の寮が良いんでしょう?」
「うん……だから、ハリーと一緒にスリザリンに入ろうと思ったの。ダメなの?」
「ダメじゃないわよ。そうね、ハリーがスリザリンに組み分けられたら迷わずにそうしなさい。でも、もしハリーが他の寮に組み分けられたら……タミ、よく考えるのよ。自分がどうしたいのかを」
もう一度額にキスをしたルーシーが歩き出す。タミも慌ててカートを押しながら後を追った。
プラットホームはたくさんの人で溢れていた。空いているコンパートメントを見つけると、ルーシーがカートを乗せてくれる。あんなに重いカートも魔法を使えば一瞬なのだから、本当に便利だと思う。
「ママ、もう行くの?」
「そうね、セブルスの準備を手伝わないと」
窓から手を伸ばすと優しい手に包み込まれる。
導かれた頬をそっと撫でるとルーシーが「楽しんでらっしゃい」と優しく微笑んだ。
「パパに、どの寮になっても怒らないでねって言っておいて」
「分かったわ。まぁ、言わなくても怒らないと思うけどね。ちょっと拗ねるだけよ」
「拗ねるのも止めてって言って」
笑みを零しながら言えば、同じように笑ったルーシーが寄ってくる。身を乗り出せば頬にキスをされた。愛してるわ。囁かれる言葉に「私も」とキスを返して。タミは人混みに消えていくルーシーの姿を見送り席へ戻って行った。
もうすぐホグワーツ特急が出発する。
出発間際にコンパートメントにやって来たのは、ふっくらとした可愛い女の子だ。金髪のおさげを揺らしながらコンパートメントを覗き込み、そこにタミしかいない事を知ると小さな声で「空いてますか?」と問いかけてくる。
「うん、空いてるよ」
「一緒に座ってもいい?」
「もちろん!」
即座に了承すると、女の子はホッとした様子で入ってきてタミの向かいに座った。タミの家では珍しい金髪をじっと見つめていると、女の子は少しだけ恥ずかしそうにおさげを掴んで「ママに無理やり結われたのよ」と言い訳のようなものを口にした。
「違うわ、髪型じゃなくて……すごく綺麗ね」
「え?」
「私の家はみんな黒髪なのよ」
肩よりも上にある黒髪を手に取って見せれば、女の子はぱちぱちと目を瞬いてからふにゃりと頬を緩めた。可愛い笑い方をする子だなと思った。
「貴方の髪もとっても綺麗な黒だわ。私、ハンナっていうの」
「タミだよ。よろしくね、ハンナ」
新しい学校での初めての友達。
良かった、これなら上手くやっていけそう――ホグワーツで待つ父の事を思うと少しばかり不安が過るけれど、いつまでも気にしてはいられない。父は父だし、タミはタミだ。そう思ってくれる友達を作ればいい。少なくとも、ハリーはそう言ってくれるはずだ。
「ここ、一緒に座ってもいい?」
ノックと共にひょっこり顔を出した二つの顔。肌が濃い黒髪の二人の少女は窺うようにタミとハンナを見ていた。ハンナがタミを見て、タミが頷く。いいよ。ハンナが答えると二人は嬉しそうに入ってきてタミとハンナの隣にそれぞれ腰を下ろした。
「私はパーバティ。それでこっちが――」
「パドマ。双子なのよ、パーバティがお姉ちゃん」
「タミだよ。よろしく」
「私はハンナ。よろしくね」
自己紹介はほのぼのと終わり、四人は他愛ない話をしながら時間を過ごした。車内販売ではそれぞれが気に入ったものを買い、四人で分け合って食べる。良かったとタミは思った。三人ともタミと同じように新入生で、兄や姉はいないと言っていた。”スネイプ教授”を知らないのだ。
「でも良かった。知り合いがいなかったから……独りぼっちだったらどうしようって心配だったの。タミもそう?」
「うん――あ、でも私の幼馴染もホグワーツに入学するんだよ。駅で会えなかったんだけど、乗ってるはずだよ」
どのコンパートメントにいるかは分からないけれど、きっと乗っているはずだ。――乗っていなかったらどうしよう。一瞬過った不安を掻き消すように、タミは「どんな子?」というパーバティの問いかけに口早に答えた。
「優しくていい子だよ。ハリーって言うんだけど、私と同じ黒髪で眼鏡をかけてて――」
「ハリー? もしかして、ハリー・ポッター?」
勢い良く食いついてきたハンナにタミは目を丸くした。何故かパーバティもパドマも息を呑んでいる。
「え、え? ハリーを知ってるの?」
「知ってるも何も……タミは知らないの?」
「何が?」
話が噛み合わない。首を傾げるタミに、ハンナ達は顔を見合わせてから声を落として教えてくれた。”例のあの人”の事、それを打ち破った”ハリー・ポッター”。生き残った男の子。
「まさか! ハリーが?」
「額に傷があるって聞いたの。本当にあるの?」
「額……? ――あぁ、あれか」
幼馴染の額に薄っすらと残る稲妻形の傷を思い浮かべてタミは首を振った。知らなかった。ハリーがそんなに有名だったなんて。何も知らなかった。だってセブルスもルーシーも何も言っていなかった。
「パパもママも教えてくれれば良かったのに!」
「タミのパパとママは魔法使いと魔女なの?」
「そう! 絶対知ってたはずなのに――あ!」
大きな声を出したタミにハンナ達が目を丸くするが、タミはそれどころではなかった。ルーシーの言っていた意味が漸く分かったからだ。ハリーと一緒にいればいい。それはつまり、生き残った男の子として有名なハリーの名前を利用して安全を手に入れろという事だったのだ。
「…………ママのバカ」
そんなつもりでハリーと友達になったわけじゃない。そんなつもりで一緒にいたいわけじゃない。
友達と一緒にいたいと思っただけなのに。もしかして、ハリーと一緒にいるとそんな風に思われてしまうのだろうか?
有名な男の子、ハリー・ポッター。何だかハリーが遠くに行ってしまったように感じて、タミは俯き唇を噛んだ。
→ 賢者の石 06