タミはいつものように公園のベンチに座っていた。
またここで会おうと約束したはずのハリーは日曜日から姿を見せない。今日はハリーの誕生日だというのに、一体どうしたのだろうか。また何かおかしな事が起きて閉じ込められているのだろうか。
ハリーの住むダーズリー家に行ってみようかと思ったが、タミは思い留まった。昔、一度だけハリーの家のベルを鳴らした事があるが、その後ハリーは一週間物置に閉じ込められてしまったのだ。タミ自身も、父から二度とハリーの家に行かないようにときつく言われてしまった。
独りぼっちの時間はつまらない。タミはとぼとぼと家に帰って行った。
「あら、お帰り」
肩を落としながら家に帰ると、キッチンから顔を覗かせた母がタミを見て苦く笑う。
「会えなかったの?」
「……また、閉じ込められてるのかな」
誕生日なのに。溜息を落としてソファに向かおうとすると、キッチンに戻った母から「手を洗いなさい」と窘められる。はーい。間延びした声を上げて洗面所に向かったタミは、鏡の中で不貞腐れた顔をする自分に顔を顰めた。
「つまんない」
クッションを抱きしめてソファに身を沈めて呟く。
学校で出された宿題はたくさん残っているけれど、タミは手をつける気にはなれなかった。もう必要がないと知っているからだ。
「パパは?」
洗い物を済ませて戻ってきた母に問いかければ、寝室だと返ってくる。今朝はまだ帰って来ていなかったから、タミが公園でハリーを待っている間に帰って来たのだろう。
「やっと帰って来たのね」
「疲れてるんだから寝かせてあげなさい」
「最近パパに会ってないのに」
もう顔を忘れちゃったわ。拗ねた声を出せば「ショックで泣くんじゃない?」と母が笑う。
「ずっと帰って来なくて、帰って来ても研究室と寝室の往復ばっかり。ご飯の時だって顔を合わせないんだもの。ママにはちゃんと顔を見せて挨拶をしているみたいだけど、どうやらパパは私には顔を見せる必要も挨拶をする必要もないと思って――」
「分かった。分かったよ、タミ。行って来るといい」
遮るようにして母が言った。まだまだ言い足りなかったけれど、お許しが出た事で少しばかり機嫌を直したタミは、クッションをソファに放って部屋を飛び出した。
「無理に起こさないように」
背中にかけられる声を無視して寝室へ行けば、薄暗い寝室のベッドがこんもりと盛り上がっているのが見える。息を潜めてそっと近寄ると、布団で顔の下半分まで隠して眠る父の姿があった。頬杖をついて布団を少しばかり下げてみれば、僅かに眉を寄せた父はそれでも起きる気配を見せない。眠っている間も僅かに皺の残る眉間にくすりと笑い、タミは靴を脱いでベッドの中に潜り込んだ。
「パパー、ひまー」
近くで訴えてみせると、眉間の皺を濃くした父が瞼を震わせる。タミが見えているのかは分からないが、名前を呼ばれたのだから認識はされているのだろう。
「タミ……勘弁してくれ……」
「こっちの台詞よ、パパ。愛しい娘を放って仕事ばっかり」
呻いた父が眠気の残る声で「すまない」と謝罪の言葉を紡ぐ。いつもと同じやり取りだ。変わり映えのしない謝罪にはもう飽きてしまった。
「ホグワーツから手紙が届いたのよ。もう一週間近く経つのに、まだ買い物に連れて行ってくれないの? それとも私に入学させる気はないって事?」
「かいもの……ルーシーと行くんじゃないのか?」
「もちろんママと行くわ。でも、パパも行くのよ。三人で出かけたいんだもの」
父はまた呻いた。行くつもりなど無かったのだろう。娘の入学式の準備だというのに嬉しくないのだろうか。それがまた腹立たしい。
「パパ。一応聞いておくけど、仕事と娘とどっちが大事なの?」
「…………どちらも」
「あぁ、そう。それなのに仕事ばかりで娘には顔を見せる事すらしてくれないのね? ママには”ただいま”も言うし顔も見せるのに、大事な娘にはそのどちらもしてくれない。貴方の大事な娘は大好きなパパの顔を殆ど忘れかけてるっていうのに――」
「分かった。分かった、起きる……」
父も母も娘には甘い。娘が癇癪を起こすと面倒な事になると知っているからだろうか。
もぞもぞと動いた父が名残惜しげにベッドから起き上がるのに、タミは満足気に笑った。
大きな欠伸をした父が疼く目頭を押さえて頭を振る。肩まで伸びた黒髪が揺れるのを眺めていると、深く息を吸い込んだ父の手が伸びてきてタミを抱き寄せた。ふわりと香る父の匂いと温もりに、ささくれだっていたタミの気持ちが和らいでいく。きっと自分のパパは不思議な力を持っているんだろうと、タミは幼い頃から思っていた。
「会いたかった」
「私もよ、パパ。ずーーっとそう思ってたわ」
頬に落とされるキスに笑い、同じようにキスを返す。
先にリビングに行くように言われて部屋を出たタミは、上機嫌でリビングに入るなり母からのお小言を頂戴した。
「寝たばかりだったのに」
「パパが自分で起きるって言ったのよ。私は”起きて”なんて一度も言ってないもの」
「言わせたんでしょう? 意地悪な子ね」
「大事な娘に顔を忘れられるほど帰って来ないパパが悪いのよ」
言葉ほど怒った様子のない母に悪びれずに返して、タミはソファに座りクッションを抱きしめた。ほどなくして着替えを終えた父がリビングに入ってくる。隣をぽんぽんと叩けば、そこに腰を下ろした父が疲れの抜けない顔で首を左右に傾けた。疲れきった姿に少しばかり罪悪感を覚えたタミだが、寂しかったのも事実だ。母に言った通り起きると宣言したのは父の方なのだから、存分に甘えるとしよう。
「パパ、いつ買い物に行く? 今日?」
「今日は駄目だ」
期待に目を輝かせて尋ねたが、返ってきたのは有無を言わさぬ冷めた声。
タミは落胆を隠せずに父をじとりと見た。
「どうして? 今日は休みなんでしょう?」
「タミ、セブルスだって疲れてるんだから……」
父の前に紅茶を置きながら母がタミを窘める。いつだって父の味方なんだからと口を尖らせれば、紅茶を一口啜った父がおはようの挨拶か紅茶の礼かは分からないが、母を引き寄せて頬にキスをした。嬉しそうに笑った母が頬へのキスを返すのを、タミは不満を隠さないまま眺めている。両親の仲の良さは物心ついた頃から知っている。
「この子ったら、ハリーに会えなくて拗ねてるのよ」
「だって、ハリーったら日曜日からずっといないのよ。今日は誕生日なのに!」
せっかくプレゼントだって用意したのに! 声を上げるタミに、母を膝に乗せて満足気な顔をしていた父が一転、嫌そうに顔を歪めた。
「そんなもの、くれてやる必要はない」
「友達だもん」
「止めなさい。今すぐに」
吐き捨てた父がまた紅茶を啜る。
ハリーの話をするといつもこうだ。タミはすっかり聞き慣れてしまった文句に肩を竦めた。
「ねぇ、どうしても今日はダメなの?」
「絶対だ」
「どうして?」
「今日は奴がダイアゴン横丁に行っている」
頑なな父から出てきた”奴”という単語。タミは息を呑んだ。
「ハリーが行ってるの!? ダイアゴン横丁に!?」
「ハグリッドがダンブルドア宛に手紙を寄越したからな。随分と遠くまで逃げていたようだ」
無駄な事をする、と無知なマグルを嘲る父が紅茶を飲み干すのを、タミはじとりと睨みつけていた。カップをソーサーに置いた父がその視線に不満気な顔をするが知った事じゃない。
「ハリーも一緒に行きたかったのに」
「天地が引っくり返っても有り得ないな。第一、タミ。お前はまさか自分が魔女だという事を奴に話したのか?」
「パパが隠しておけって言ったんでしょ!」
「仕方あるまい。決まり事だ」
余計な決まり事を作ってくれたものだとタミは鼻を鳴らした。
タミの父はハリーが嫌いらしい。タミがハリーの話題を上げるたびに不機嫌になるのだが、四六時中ハリーと一緒にいるタミはハリー以外の話題を持っていないのだから仕方がない。娘の近況を知りたくないのかと言い、たっぷり呻いた父が渋々とハリーの話題を上げる事を許可してくれたのは三年ほど前の事だ。不機嫌になるのは変わらないが、聞いてくれるだけマシだと思っている。
タミは魔女だ。父も魔法使いだし、母も魔法を使える。
幼い頃からハリーの身の回りで起きる事が魔法だとタミは知っていた。知っていたけれど言わなかった。言えなかった。両親に口止めされていたからだ。
おかしな事が起きるたびにハリーも自分と同じ魔法使いなのだと実感して嬉しくなる反面、おかしな事を嫌う親戚に叱られるハリーが可哀想でならなかった。彼の本当の両親が魔法使いと魔女である事は母から聞いていた。二人が生きていれば今頃ハリーは幸せに生きているはずだったのに。
「いつになったら言っていいの?」
「入学式の日までは秘密にしておけと言われている」
「そんなぁ……」
入学式の日まであと一ヶ月もあるというのに。
自分が魔法使いだと知り困惑しているだろうハリーに、自分も同じだと言えないまま一ヶ月を過ごせというのか。
「パパのいじわる」
「私の所為ではないからして、私に文句を言うのは筋違いだ」
分かっている。分かっているが、未だ母を膝に乗せてその長い黒髪を指に絡めて遊ぶ父を見ればそう言いたくもなる。
「私も構って!」
我慢出来なくなり声を上げれば、顔を見合わせた父と母はそれはそれは楽しそうに笑った。
→ 賢者の石 03