子守りと洗濯のアルバイトを終えたきり丸は、雇い主から頂いた銭袋を強く握りしめながら意気揚々と家路についていた。家に帰ったら昼餉を食べながら銭の枚数を数えることにしよう。半助には溜息をつかれるだろうが大好きなのだから仕方ない。銭を床に並べていく時のちゃりん、ちゃりんという音が好きなのだ。何度だって言う。大好きなのだ。
「たっだいまー!」
ご機嫌よく玄関の戸を開けたきり丸の目に飛び込んだのは、
「ひぐっ、う、うぐぅ……や、やだぁ」
「………」
「だっ、せ、せっかく、はんたー、なっ、のにっ、」
「………」
「うあああぁぁん!! やだああああぁぁぁ!!」
床に突っ伏して大声で泣き喚く女と、その傍らで胃を押さえて蹲っている半助の姿だった。
「……何だぁ?」
戸口に立ち尽くしていると背後で何やら囁き合う声が聞こえてきり丸は我に返った。まずい、とにかくこの二人を何とかせねば。
「あ、あはははは! もー、やんなっちゃいますよねぇ! 痴話喧嘩なんて他所でやってくれりゃあいいのに!」
野次馬たちを振り返って大声で笑い飛ばせば、大変だねぇなんて慰めのお言葉と笑い声が返ってくる。次第に離れていく人たちを貼り付けた笑顔のまま見送ったきり丸は慌てて戸を閉め、ついでに鍵まで閉めて師である半助に詰め寄った。
「先生! 何があったんすか!」
「きり丸……いや、ありがとう……でも、その」
「うえええぇぇぇん!! もうおしまいだああぁぁ」
「……せんせー、何があったんすか?」
「…………胃が痛い……」
背中を丸めて益々小さくなる半助の背中を撫でてやりながら、きり丸はチラリと女を見た。床に突っ伏して泣く女はどうやらもう元気になったようだ。こんなに打ち拉がれた様子で泣いているのに元気と言っても良いのか分からないが、取り敢えず具合は良くなったようだ。ありがとうと呟きながら半助が身を起こしたのを確認し、きり丸は今度は女の方に歩み寄り、同じように背中をさすってやる。
「おねーさん、よく分かんないっすけど、元気だしてください」
「ひぐっ、ううぅ」
きり丸の声に反応して顔を上げた女は、顔から出るもの全て出した状態で縋るような目をきり丸に向けた。余りにも酷いその顔に思わず「うわ、」と腰を引いてしまったきり丸だが、とにかく泣き止んでもらわねば。大家だとか隣のおばちゃんだとかが好奇心丸出しで世話を焼きにくるかもしれない。それだけは避けたい。
「とりあえず……はい、リサさん。顔を拭いてください」
疲れきったような半助から手拭いを受け取った女がそれに顔を埋めた。そうか、リサという名前なのかと半助を見れば、どこか遠い目をしてあらぬ方向を見ている半助がいる。
「あのー……何かあったんすか?」
聞きたいけど聞きたくない。けどやっぱり聞きたい。なるべく刺激しないようにと下から窺うように半助を見上げれば、ふと笑みを漏らした半助が、やはり遠い目をしながら「きり丸」と呟いた。
「はい?」
「お前は……異世界とか、信じるか?」
「はぁ?」
何言ってんすか。頭どうかしちゃったんすか?
思わず正直な感想を吐き出せばリサが再び声を上げて泣き喚き、半助もまた胃を押さえて蹲ってしまった。何なんだ。
「えーと、つまり……リサさんがここじゃない別の世界から来た、と」
難しい顔で囲炉裏を見つめながらきり丸は呟いた。朝の雑炊がすっかり冷めたまま鍋に残っている。そこから視線をずらせば、漸く泣き止んだは良いが床に突っ伏したまま動かないリサと、げっそりと窶れた顔で胃を押さえる半助が見えた。
辛抱強く二人を宥め続けて漸く半助から教えてもらったのは、余りにも突飛な話だった。
「いやいや、そんな、まっさかー」と笑い飛ばしたきり丸に差し出されたのは見たことのない物体で、リサ曰くそれで離れた所にいる人とすぐに連絡を取り合うことが出来るらしい。ケイタイデンワと言うらしいが、ならば使ってみせてくれと頼んだら「圏外だから無理……」という涙声が帰ってきた。圏外って何だ。
きり丸がアルバイトに出かけた後、どうも二人の話が噛み合わないことに気付いた二人は、おそるおそる互いの知っていることを出し合ったらしい。どう見ても南蛮人なのだから噛み合わないのも仕方のないことなのでは?と思ったが、そもそもこの国に入ってこの地方にやって来てこの町に来たのだから、多少なりともこの国の知識を持っていたっておかしくない。それなのにリサは何も分からないのだという。
気が付いたら、ここで寝かせられてた。リサはそう言った。
元々いたのはヨルビアン大陸とやらにあるヨークシンシティという都市で、世界最大のオークションとやらに参加する為に滞在していたらしい。大陸の名前も都市の名前も世界最大の何ちゃらも全てきり丸には分からない。自分よりも遥かに物知りな半助すら聞いたことがないと言った。
極めつけはハンターという職業。リサが言うには知らない人なんかいない。いるはずがない、らしい。例えるなら教師と同じくらい有名だと言う。そんな馬鹿な。そもそもハンターとはどんな職業なのかと問えば、ハンターというのは総称で、怪物・財宝・賞金首・美食・遺跡・幻獣などの稀少な事物を追求することに生涯をかける人々のことを指すと返ってきた。とんでもなく難しい試験を受けて合格した者のみがハンターと名乗ることを許され、その証としてハンター証というものをもらえるらしい。
「それが、これです」
リサが差し出した小さな紙。花札の札よりも少し大きなそれは紙ではなく別の何かで作られているようだけれど、きり丸には分からなかった。難しい顔をしている半助にも分かっていないのだろう。
気になったのはハンター証の下半分に書いてある奇妙な模様。子どもの悪戯書きのようなそれは何かと尋ねると、リサはこれは自分の世界での世界共通文字だという。
「これが世界共通ぅ?」
「他の文字を使ってる地域もあるだろうけど、観光客とかの為にこの文字でも同じことが書いてあったりするんだよ。でも……知らないって、言われて……」
再び目を潤ませるリサにぎょっとして半助へ「助けて!」という視線を送れば、半助は痛みに耐えかねたらしく胃薬を飲んでいた。薬の苦さに目を潤ませる半助から視線を下ろして溜息をついた自分は悪くない。
「まぁ……リサさんが別の世界から来たかもしれないってのは分かりましたけど、これからどーすんですか?」
「どうしようかねぇ……」
「土井せんせー」
「はは……どうしようか……」
「ははは……」と乾いた笑いを漏らす半助はもう色々と諦めているようだ。
「んー……あ、じゃあ、ここに住めば良いんじゃないっすか?」
「え?」
「きり丸っ!」
きょとんと目を丸くするリサと慌てて声を上げる半助。半助の顔が余りにも怖くてびくりと身体を震わせたきり丸は、躊躇いながらも「だって」と言葉を紡ぐ。
「このまま追い出すわけにはいかないっすよね? せんせーだって、ここにいてくれた方が問題起きなくて良いと思いません? 我が家から出てきた南蛮人が騒ぎ起こしたなんて言われたら、ぼくらまで巻き込まれちゃいますよ」
「それは……だが、」
「ぼくが帰ってきた時にせんせーたちが騒いでたから、家にリサさんがいるの見た人だっているでしょうし」
「うぐ、」
確かに……いや、でもしかし、いや、でも。ブツブツと独り言を零す半助は、おそらく必死に頭を働かせているのだろう。異常事態。明らかに怪しい南蛮人。異世界人と信じなければ、ならばこの女は何故この家にいたのかということになる。この家の人間が忍術学園の教師と生徒ということを突き止めたのかもしれない。情報を掴みに来たのかもしれない。それならばいっそここに招き入れて逆にこちらが監視してやれば良いのだ。
「それにー、リサさんにもバイト手伝ってもらえば、ぐふふふ」
「声に出てるぞきり丸! さてはそれが目的だな!!」
「やばっ、い、いやっ、でもっ、結局はそれが一番いいかなーって! ね!?」
「きーりーまーるー!」
「た、タンマ! せんせー落ち着きましょう!」
このままでは拳骨を食らう羽目になる。それだけは避けたい。痛いのは嫌だ。
拳を握りしめてにじり寄ってくる半助から逃げるように後ずさりをしていると、不意に聞こえてくる笑い声。驚いて振り向けば、涙を引っ込めたリサが楽しげに笑い声を上げていた。
「あのー……」
「あ、ご、ごめんなさい! 何か、見てたら楽しくって、ふふっ」
「………」
「………」
視線を戻すと半助と目が合う。そのまま数秒経過すると、半助が大きな溜息と共に拳を収めてくれた。奇跡だと思った。
「分かりました、分かりましたよ」
いつもいつも問題ごとばっかり、何故私のクラスだけ云々。一頻り愚痴を零して気が済んだのか、顔を上げた半助はリサに向き合うと腹を括ったという顔で告げた。
「ここにいてください」
端的に告げられたその言葉にリサは「良いんですか?」と不安げに半助を見つめる。眉を下げて上目遣いで半助を見上げるリサは、何だか叱られるのを恐れている幼子のようだときり丸は思った。
「仕方ありません。既に関わってしまいましたし、貴方の面倒は我々が見ますよ」
「――ありがとう、ございます……!」
感極まった様子でべたんと両手を床に付けたリサが、そのまま勢いよく頭を下げた。ゴン!!大きな音が響いた。
「ちょ! 何してんすかぁ!!」
「あぁ、もう! だからそれはただの――」
「タダぁ!!?」
「えぇい煩い! 黙ってなさい! リサさん! そんなに頭を下げなくて良いとさっきも……!」
「で、でも! お礼を言う時は――」
今度の夏休みは、何だか賑やかになりそうだ。
半助に説教を受けているリサを眺めながら、きり丸はこっそり笑みを浮かべた。