01


全寮制である忍術学園の夏休み。
生徒たちの大半は勿論、教師たちも自宅で過ごす期間である。

一年は組の生徒、摂津のきり丸も例外ではない。きり丸は生まれ育った村を戦で焼かれ、家も家族も喪った戦争孤児だ。天涯孤独の身となった後、彼は幼いながらも日夜アルバイトに勤しみ、自力で稼いだ入学金で忍術学園に入学した。
夏休みのような長期休暇には担任である土井半助の家で世話になっており、最後の授業を終えたこの日も半助と共に帰路についていた。

「せんせー、少し買いすぎたんじゃないすかぁ?」
「うーん、まぁ食べれない量じゃないだろう? きり丸がいっぱい食べればいい」
「えー! そんなに食べれないっすよ!」

せんせーも責任取ってちゃんと食べてくださいね!
数歩先を行くきり丸の足取りは弾んでいた。忍術学園からそう遠くない町に長屋を借りて住んではいるが、日頃家を留守にしている為に家はいつも閉め切っている。今日も帰ったらまず空気の入れ替えをしなければ。

夏休みは好きだ。
クラスメイトの乱太郎やしんべえ達のように家族が待つ家を持たないきり丸だが、それでも帰る家がある。「おかえり」と言ってくれる人がいる。それを実感出来る長期休暇は、口にこそ出せないがきり丸にとって特別なものであることは間違いない。

「土井せんせー、今回もアルバイトの手伝い、よろしくお願いしまーす!」
「ったく……程々にしてくれよー?」

それから宿題も忘れずにやるんだぞ、と釘を刺すことを忘れない半助にニシシと笑いながら駆け出したきり丸は、帰って来た我が家の前で足を止めた。以前こそ半助が一人で住んでいた家ではあるが、今ではきり丸の家でもある。帰る家があるというのはこんなにも嬉しいことなのだ。
閉め切られた木戸をじっと見つめて頬を緩ませたきり丸は、立て付けの悪い戸を力一杯押し開け、薄暗い部屋に駆け込みながら「ただいまー!」と声を響かせ――、

「うわあっ!」

悲鳴を上げた。

「きり丸! どうした!?」

きり丸の悲鳴を聞き付けた半助が慌てた様子で家の中に駆け込んでくる。ペタンと腰を抜かして座り込んでいるきり丸の視線の先をにある『それ』に、半助が訝しげに眉を寄せた。

「……誰だ?」

閉め切られていたはずの室内には、きり丸が見たこともないような衣服を身に纏った女が寝ていた。




この人は誰だろう。きり丸は呆然と目の前で眠る女を見下ろした。
板張りの床に丸くなって眠る女の傍らには見たことのない荷物が落ちている。中には何が入っているんだろうかと思ったが、何よりもきり丸の目を惹いたのは女の長い髪だ。薄暗く視界の悪い室内で尚はっきり分かる白い髪は、四年生に編入してきた髪結い処の息子が喜びそうだと思った。

「きり丸」

半助が声を潜めてきり丸を呼んだ。ハッとして振り返れば、警戒を顕に女を見つめる半助に手招きをされた。物音を立てないように慎重に立ち上がろうとしていると、眠っているらしい女の息遣いが微かに聞こえてくる。明らかに異常だと分かるその荒い息遣いに、思わずべたんと床に手を付けて顔を近付けた。

「きり丸っ!」
「先生、この人具合悪いみたいっすよ」
「何……? ――あっ、こら!」

半助の制止を無視して手を伸ばし、顔にかかる髪をそっとずらしてみた。顕になった顔はやはり苦しげに歪んでいる。どうしようと半助の方を振り返れば、困惑の色を浮かべながらも半助がやって来た。きり丸に下がるように指示した半助は警戒を解かないままに女の顔を覗き込み、ぐっと眉根を寄せて女の肩にそっと手を置く。

「あのー……」

軽く叩いて呼びかけてみたが女は起きない。起きれないと言った方が正しいだろうか。半助の肩越しに女を覗き込むと、やはり苦しげな女の姿が見える。息苦しさに耐えるように強く瞑る目は開く気配がない。

「先生……どーします?」
「………はぁ」

小さな声で問いかけると、返ってきたのは諦めたような溜息。それで全てを悟ったきり丸は、荷物を部屋の隅に置くと急いで布団を引っ張り出した。囲炉裏の近くに布団を敷くと、再び女に呼びかけていた半助が小さな溜息と共に女の身体を抱き上げる。危なげなく女の身体を布団に横たえると、仰向けになった女の胸が大きく上下したのが見えた。

「見慣れない服っすね……」
「嫌な予感がするんだよなぁ……」

引っ張り出した毛布を掛けると、桶を手にしていた半助が格子戸を開けるようにときり丸に指示をする。それに頷きを返して格子戸を開け放つと、薄暗かった室内に陽が射し込んで一気に明るくなった。何か大変なことになりそうだと女をじっと見つめていたきり丸は、明るくなった室内で見る女の髪色がさっきと違うことに気付く。

「んー? ……あぁ、白じゃなかったんだ」

白いと思っていた髪は角度を変えれば灰色のようにも見えた。けれど灰色ほど暗くもなく透明感があって――つまり、きり丸が今まで見たことのない髪色だということだ。一つ言えるのは、見覚えのある学園長の真っ白な髪とは全然違うということ。
明るい部屋の中で見る女の頬は上気していた。前髪が汗で張り付いている。

「きり丸」
「あ、土井せんせー。この人、熱があるみたいっすよ」
「流行病じゃないだろうな……」

嫌そうな顔で戻ってきた土井は、それでも女を看病することを決めたらしい。桶に張ってある水の中に手拭いを沈めて濡らし、固く絞ってから躊躇いがちに女の枕元へと移動した。

「濡らしますよ」

一声かけてから手を伸ばして女の前髪をずらすと、濡れた手の冷たさに反応したのか女の睫毛が震えた。あ、ときり丸が声を発したのと半助が慌てて手を引っ込めたのは同時で、二人は固唾を飲んで女をじっと見つめた。

「………、」

微かに開いた目はすぐに瞼の裏に隠れてしまった。苦しげに息を吐き出した女の息遣いが女の意識があることを教えてくれるが、おそらく意識が朦朧としているのだろう。女が声を発することはなかった。
とにかく話が出来る状態にまで回復してもらわなければ、とでも考えたのだろうか。半助が手拭いを女の額に当てた。ぴくりと動いた女の指先は、けれどすぐに弛緩する。

「おねーさん、大丈夫っすかー?」

おそるおそる問いかけてみれば、女が微かに首を動かした。縦に振られはしたけれど、起き上がる様子はない。

「聞きたい事が山程ありますが、その様子じゃ無理そうですね。取り敢えず早く治してください」

話はその後です。女がまた小さく頷いたように見えた。これならきっとすぐに良くなるだろう。半助と顔を見合わせたきり丸は「手を洗ってきなさい」という半助の台詞に「はーい」と返事をすると井戸へ走っていった。