04


ERRORの所に行かなくて良いの?」

目を覚まして食堂にやって来たタミちゃんは、私を見るなり驚いた顔でそう言った。
一房だけぴょんと変な方向に跳ねている髪の毛を撫で付けるようにして直してやれば、気付かなかったと恥ずかしそうに笑ったタミちゃんがじっと私を見つめてくる。そしてまた繰り返した。ERRORの所に行かなくて良いのか、と。

「うん……今は、マルコさんが話してるから……」

答えた声は私の不安をそのまま表している。
マルコさんとERRORの話が上手くいくなんて、これっぽっちも思ってない。だってERRORはずっと気にしていた。父親がいないことを受け入れてはいたけど、それでも会いたかったに決まってる。気にならないわけがない。
それなのに私はERRORの気持ちを無視して、隠して、隠して、隠し続けて――だから、きっと今ERRORは泣いている。マルコさんだってそうだ。私が最初から言っていれば――そこまで考えて首を振った。心配そうなタミちゃんに笑ってみせたけど、多分上手く笑えなかったんだろう。タミちゃんの顔が泣きそうに歪んでしまった。

「マルコさんとERRORのことは、その……私が、口を出す、ことじゃない、けど……あのっ、でも……」

不安げに眉を寄せたタミちゃんの目が助けを求めるようにあちこちに泳ぐ。こんな顔をさせてしまっていることも、気を遣わせてしまってることも、全部私が黙っていたからで。

「でも、私だったら、お母さんに会いたいって思う」

「いっぱい、色々、あるけど……目が覚めたら、最初に会いたいのはお母さんだよ、きっと」

言葉を探しながら必死に訴えてくるタミちゃんの背後で、ロナン君が「成長したな……!」と目頭を押さえているのが視界の端に映った。その隣で呆れ顔をするジウ君に何となく目を向けると、丁度こちらを向いたジウ君と目が合う。少しだけ困ったように笑ったその顔に、何故だろう。見覚えがあるような気がした。

「だから、そのっ、」
「――うん」

うん、分かった。頷いた私にタミちゃんが縋るように見つめてくる。

「ありがとう、行ってくる」
「リサ、あの……」
「タミちゃん」

尚も何かを言おうとするのを遮って名前を呼べば、タミちゃんが驚いた顔で私を見つめる。

「………黙ってて、ごめんね」

泣き腫らした痕の残る目元をそっと撫でると、タミちゃんはまたくしゃりと顔を歪めた。ぼろぼろと溢れ出た涙を慌てて拭おうとするけど間に合わない。滝のように次々と流れ出てくる涙に困り果てていると、後ろからにゅっと伸びてきたタオルがタミちゃんの顔に押し付けられた。むが。タミちゃんの呻き声が上がった。

「こーら、タミ。リサを困らせるんじゃないの。まーだ泣き足りねぇのか?」
「ザッヂ、ざん! い、いだいっ! いだいっ!」

私を挟むようにしてタミちゃんの顔を拭いながら、サッチさんが身体を捩って出口を作ってくれる。身を屈めて二人の間から抜け出せば、サッチさんはタオルでタミちゃんの顔を乱暴に拭っていた。タミちゃんの上げる悲鳴に声を上げて笑うサッチさんが不意にこっちを見て。行っといで。口パクでそう言われた。

行っても良いのだろうか。
今行ったら二人の邪魔になってしまわないだろうか。

そんな事ばかりを考えてその場を動けずにいる私の肩に誰かの手が触れた。突然の事に驚いて振り向けば、ビスタさんが大きな身体を屈めてそっと囁くように私に耳打ちをする。

「大丈夫だ」

だから行って来い。その言葉に背中を押されるようにして一歩踏み出せば、今度は反対の肩に誰かの手が触れた。ビスタさんのよりも小さいその手の主を振り返れば、エリザさんがいつものように微笑みながら口を開く。

「行ってあげて」
「――、はい」

頷いて食堂を後にした私は、いつもより少しだけ遅い足取りで医務室へ続く廊下を歩いた。すれ違う人達は皆もう知っているらしく、医務室の方へ向かう私に口々に笑いかけてくれたり背中や肩を叩いたりしてくれる。大丈夫だ、心配すんな――誰もがそうやって優しい言葉をかけてくれるけど、私はそんなに酷い顔をしているのだろうか。

医務室に続く最後の角を曲がると、丁度誰かが医務室から出てきたところだった。思わず足を止めてしまった私に気付いたマルコさんがこっちを見て、一拍の間。マルコさんがくしゃりと笑った。

「泣かせちまった」

無理して笑っているのが分かるのに、何て声をかけたら良いのか分からない。頭を掻きながら横を通り過ぎて行くマルコさんを振り返ったけど、やっぱり何も出てこなくて。いつもより丸い背中が遠ざかっていくのをただ見つめた私は、医務室の方へ視線を送って溜息を一つ落とす。せっかく皆に励ましてもらったのに、無意識に落ちたそれの所為でまた気が滅入ってしまった。それでも、行かないと。

医務室の戸を軽くノックして開くと、啜り泣く声が聞こえてきた。時折漏れる嗚咽に奥歯をぐっと噛みしめてベッドに近寄れば、ベッドの上にこんもりと盛り上がった山が出来ている。布団を引き剥がす気にはなれずにベッドの端に腰を下ろし、そっと呼びかけてみた。

ERROR

返事はない。
けれど微かに揺れた布団に、自嘲にも似た笑みを浮かべてそっと布団に触れる。布団越しにでもERRORの温もりが伝わってこないかと期待したけど、それを認識する前に布団がもぞりと動いてERRORの涙声が耳に届いた。

「あっぢ、いっで」
ERROR……」
「あいだぐ、ない゛……っ」

また布団が揺れて、ひっぐ、えっぐと泣きじゃくるERRORの声が聞こえなくなった。
情けない。覚悟して来たのに、私が泣いてしまいそうだ。

「――無事で、良かった」

ゆっくり休んで、とありきたりな台詞を残して医務室を後にする他なく、行きよりも遥かに遅い足取りで食堂へ戻っていく。自室に戻ってしまいたかったけど、きっと今戻ったら暫く出てこれなくなってしまいそうな気がするから駄目だ。
強くなると決めたのに。私はこんなにも弱いままだ。

食堂に戻ると、タミちゃんが驚いた顔で「どうしたの?」と尋ねてきた。

「その……一人に、なりたい、みたいで」

なるべく言葉を選んで返したつもりだったけれど、予想に反してタミちゃんの顔は泣きそうに歪む。あぁ、またこんな顔をさせちゃった。

「ごめん………私があんなこと言ったから……」
「違う。違うよ……タミちゃんの所為じゃない、私も会いたかったから」

会いたかった。
顔を見て無事だと確認したかった。
目を覚ましたERRORを見て安心したかった。
傷つけたくせに母親面して顔を出したから罰が当たったんだ。

「夕食の準備、手伝ってきます」

こんな顔で行ったって心配させるだけかもしれないけど、それでも今は何かしていないと不安で。怖くて。
ERRORに嫌われてしまったかもしれない。あんなにも傷付けてしまったんだ、嫌われたに決まってる。

大切に育てると誓ったのに。
私はあの人とは違う、あの人と同じことは絶対にしない――そう思っていたのに、振り返ってみれば私は自分の都合でERRORを振り回していた。同じだ。あの人と同じ、勝手な母親でしかなかった。

「――っ、」

厨房に入った所で思わず足を止めた。
眩暈がする。気持ち悪い。

私はあんなにも苦しんだのに。
ERRORにはそんな思いさせたくないと思ったのに。

「こーら、溜め込まない」

突然ぽこん、と頭に何かが当たった。顔を上げればお玉を持ったサッチさんが呆れたような顔で私を見下ろしている。

「ったくもー、この子は。”頼れ”って言ったでしょ」

やーねぇ、ちょっとはタミを見習いなさい。
そう言って笑うサッチさんが空いている方の手で私の頭をぐわしと鷲掴む。そのまま容赦無い力で頭をぐわんぐわんと揺さぶられ、さっきとは違う意味で眩暈がした。

「ちょ、サッチ隊長!」
「何やってんだアンタ!」
「黙らっしゃい! あのなぁ、この子は甘え方もなーんも知らないの。俺が甘やかさないで誰が甘やかすってんだ」
「はい、俺が」

素早く上がった声にあちこちから「いや、俺が」「俺だ」「俺じゃね?」「俺だろ」と声が上がる。
声はどんどん近付いているのに、サッチさんの大きな手に俯かされたままの私はどうする事も出来ない。足元しか見えない視界にいくつもの足が見えた頃、頭に乗っていた手がもういいよとばかりに頭をポンポンと叩いた。
その手に促されるようにして顔を上げれば、周りに集まっている沢山の家族の顔。同じ四番隊に所属する『兄』達だ。

「ほら、見てみ。こいつらみーんな君の兄ちゃんよ」
「、は、い」

一拍遅れで何とか返事をすれば『兄ちゃん』達は満足気にニシシと笑う。

「取り敢えず、俺らには甘えてもいーんじゃないかとサッチさんは思うわけです」
「同じ四番隊だしな!」
「ドンと来い!!」

両腕を広げて待ち構える『兄ちゃん』に思わずくすりと笑みを溢すと、あちこちで腕を広げて「こっちだ」と声を上げだした。優しい兄達を見回して最後にサッチさんを見れば、サッチさんはいつもと同じ笑顔で見てくれている。

「ありがとう。――お兄ちゃん」

なんか、照れ臭いですね。羞恥に居た堪れず頬を掻いて笑ってみせると、一斉に伸びてきた手が私の頭をぐしゃぐしゃと撫でていった。我先にと伸びてくる手は容赦がなくて、髪も数本くらい抜けたような気がしたけどその痛みすら嬉しくて。

「大丈夫だって。ERRORちゃんがリサちゃんを嫌いになるわけねーんだから」
「そりゃそうだ!」
ERRORはリサが大好きだからな!」
「俺も大好きだぞ!」
「てめっ! 何抜け駆けしてんだ! 俺のが好きに決まってんだろうが!」

再び我先にと上がるいくつもの声。まるで赤髪海賊団の皆といる時みたいだ。
サッチさんと顔を見合わせた私は、さっきよりもずっと心が軽くなったのを感じて笑った。