「お願いがあります」
縋り付いてきた少女に、ダンブルドアは静かに目を伏せて頭を振る。
「聞き入れることは出来んよ」
その返答が、少女にとってどんなに辛いものであるか知りながら。
そのような一族の存在は知っていた。
けれど、軽く調べた限りではそれはおとぎ話のような存在でしかなかった。先人が考えたおとぎ話――そのようなものだと思っていた。ダンブルドアにとってはその程度でしかなかった。
その頃の自分にはもっと気にかけるべき事柄が沢山あった。
死の秘宝と、自分を引き付けて止まない友人の存在。疎ましいだけの家族。
やりたいことは沢山あったし、やらなければならないことも沢山あったから、そんなおとぎ話にかかずらっている暇などこれっぽっちもなかった。
いつしかそれはダンブルドアの記憶から薄れていき、そして今日までやって来た。
よくもまぁ、ここまで上手く隠れたものだ。
ダンブルドアは思う。まさか、おとぎ話のような存在の末裔が自分の生徒にいたとは。
彼女からそれを聞いたのは、つい先日だった。
彼女の娘であるルーシー・カトレットと共にホグワーツにやって来た彼女から事の顛末を聞かされた。
おとぎ話のような一族の末裔であること。
もう随分前にヴォルデモートがそれを見抜き、接触してきたこと。
ヴォルデモートの追っ手を振り切り、隠れて生きてきたこと。
ただのおとぎ話だと思っていた力を、何の因果かルーシーが継いでしまったこと。
驚くダンブルドアとマクゴナガルに、シエラは更に驚くべき事実を口にした。
先日の手紙は自分が送ったものではない。
息を呑むマクゴナガルから目を逸らし、彼女は言った。
ヴォルデモートの罠だったのだと。
恋人や友人、家族を人質に取られ、ヴォルデモートと契約を結んでしまったのだと。
手を打つには全てが遅すぎた。
もっと早く教えてくれたら。そう思わなかったわけではない。
けれど、秘密を知る者が増えれば増えるほど、それは彼女たちを危険にする。
ヴォルデモートから逃げられたとしても、魔法省に捕まってしまったかもしれない。
力を利用されるのであれば、ヴォルデモートも魔法省も変わりはない。
盲目に魔法省を信用出来ないシエラには、ただひたすらに隠すしか選択肢がなかったのだ。
ヴォルデモートはルーシーにその力を求めた。
けれど、既にヴォルデモートを敵だと認識しているルーシーだ。扱いづらいであろうこともヴォルデモートは理解している。なまじ、力を持っているからこそ、その使い方を覚えてしまえば面倒なことが起きるであろうことも理解していた。
だからこそ、闇の帝王は言ったのだ。その力を持つ子を寄越せ、と。
あわよくば、ホグワーツ創始者であるサラザール・スリザリンの血も残してしまおうと、そう考えて。
サラザール・スリザリンはパーセルマウス――蛇語を理解できる魔法使いだ。その子孫であるヴォルデモートもパーセルタング――蛇語を操ることが出来る。『特別』なのだ。
特別である自分と、特別であるルーシーから生まれる子は、言うまでもなく特別な存在だ。
その子どもに幼い内から教え込ませればいい。ヴォルデモートに忠実な存在にしてしまえばいい。
いつ裏切るか分からないルーシーを傍に置いておくよりずっと安心出来る。その力を好きに出来る。
いつか生まれるであろう我が子ですら、ヴォルデモートにとっては道具でしかないのだ。
先手を打たれてしまったダンブルドアに出来ることは何だろうか。
ルーシーが力を持つ娘を産んでしまうのは何としても防がなければならない。
ならば、と心を鬼にして女子を宿せないように魔法をかけた。閲覧禁止の棚に収められた闇の魔術にも等しいその魔法を、まだ成人したばかりの学生に使うのは躊躇われたが、それでもやるしかなかった。
成人しているとはいえ、傍目にはまだ『少女』にも見える彼女に降りかかる運命は何とも残酷だ。
彼女を匿ってやることは出来る。
彼女を匿い、彼女が助けたいと望む友人、恋人、家族たちをもどこかへ隔離してしまえばいいのだ。
そうすることだって出来る。けれど、ルーシーは既にヴォルデモートと契約してしまった。
狡猾な男だ、無下にしてはどうなるか分からない。何らかの呪いをかけられていたとしてもおかしくはないのだから。
けれど、ルーシーは言う。死ぬのは怖くない、と。
ヴォルデモートの罠によって囚われたルーシーがどんな目に遭ったのかは想像に難くない。そしてそれが、年若い彼女にどれだけの傷を負わせたのかも理解している。
それでも、ダンブルドアには自分を殺して欲しいというルーシーの願いを聞き入れることは出来ない。
非情だと言われても仕方ない。
闇の勢力が活発化し過ぎている現在、ヴォルデモートがルーシーに気を取られている間に出来ることは沢山あるのだ。彼の男がアジトに留まりルーシーにかかずらっている間に、不死鳥の騎士団は動くことが出来る。
非情であると自覚している。
彼女一人が犠牲になれば、魔法界を平和にする為に行動出来るのだ。
彼女と、彼女を想う友人、恋人、家族たちの気持ちを犠牲にして、ダンブルドアは作戦を立てるのだから。
どんなに傷ついているかを知りながら。
どんなに苦しんでいるかを知りながら。
それでも、より大きな善の為に。
彼らを犠牲にすることを、ダンブルドアは決めてしまった。
謝る資格などありはしない。
「先生……皆を護ってください」
お願いします、お願いします。
深く頭を下げ、何度も懇願するルーシーから目を逸らしてはいけない。
騎士団の一員となる以上、危険は伴う。
それを知っているからこそ、こうしてルーシーは頭を下げている。
どうか、助けてくれと。それがどんなに無茶なことであるかを知りながら。
彼らの為に全てを捨てる覚悟をしたルーシーとて、彼らの信念を曲げることは出来ない。
ルーシーの予想通り、彼らはどんなに危険な任務にも進んで志願するのだろう。
生命を賭して、戦い続けるのだろう。
それを邪魔することなど、出来やしない。
ダンブルドアの考えすら、ルーシーは分かっているだろうに。
「………出来る限りのことをすると、約束しよう」
それが、口だけのものだと彼女は分かっているはずだ。
「ありがとう、ございます」
泣きそうな顔で笑う彼女に、奥底に閉じ込めた良心がズキリと痛んだ気がした。