「やめたの」
いつものように部屋にやって来たルーシーを無視して本を読んでいたレイは、唐突に言われたその言葉に思わず顔を上げた。
「………なに?」
今、何て言ったの?思わず聞き返して。
「やめたの」
繰り返された言葉にポカンと口を開けた。
別れた?
セブルスと?
ルーシーが?
どうして。
理由など簡単だ。
”レイが反対したから”
だから、ルーシーはスネイプと別れた。
そこまで考えて、レイはこみ上げる怒りのままに手にしていた本をルーシーに投げつけた。
「うわっ!」
ギリギリで躱したルーシーが驚いた顔でレイを見、そして目を見開く。
「ふざけないで!!」
息を切らし涙を滲ませたレイは、困惑するルーシーを睨み付ける。
ふざけるな。
ふざけるな。
好きだったのではないのか。
大好きだったから、付き合っていたのではないのか。
別れた?
ふざけるな!!
「レイ……だって、」
「その程度にしか想ってなかったの!?」
怒りのままに怒鳴りつければ、「そんなことない!!」すぐに返事は返ってきた。
ならば何故。どうして。反対されたくらいで。
憤るレイに、ルーシーはグッと拳を握り締めて顔を伏せる。
「こないの」
”返事が、こないの”
小さな小さな呟きに、レイはハッと息を呑んだ。
「ずっと、こないの」
レイから無視されて、反対されて、嫌われて、悲しくて。
もしかして別れた方がいいのかも、なんて思ってしまって。
悲しくて、悲しくて、悲しくて。
寂しくて、寂しくて、寂しくて。
「いつもだったら、すぐに返事がくるのに」
別れた方がいいのかな。不安を漏らした手紙に返事がこない。
別れたくない。一緒にいたい。願いを綴った手紙に返事がこない。
「きっと……その方が良いって思ってるんだよ」
返事がこないのは、きっとそういう意味なんだよ。
肩を落として力なく呟いたルーシーは今にも泣きそうで。
レイは一週間前のことを思い出して青褪めた。
自分が手紙を捨ててしまったから。
とうとう教えないまま、あの手紙を処分してしまったから。
あぁ、そうか。
自分の所為なのか。
いつも笑ってるルーシーが今にも泣きそうな顔で俯いているのも。
手紙を受け取ったスネイプが今この瞬間も傷付いているだろうことも。
全部、自分の所為。
「、ぁ」
どうしよう。
とてつもない恐怖と不安がレイを襲う。
どうしよう。
そんなつもりじゃなかった。
喧嘩をすれば良いと思った。
別れれば良いと思った。
けど、実際にそうなっても心はちっとも晴れない。
こんなにも不安で、怖くて、今にも押し潰されてしまいそうで。
バレなかったから忘れてしまっていた。
自分のしたことを忘れようと、強引に頭から追い出した。
その結果が、これだ。
「ごめんね」
そう言い残して部屋を出ていくルーシーの背に、何か言おうと口を開きかけてすぐに噤む。
何を言おうとした?何を言えば良いのかも分からないのに。
何を言おうとした?何も言う資格などないのに。
立ち尽くすことしか出来ないまま、レイは静かに閉じられた扉をただただぼんやりと見つめた。
夕食の席に、ルーシーは現れなかった。テーブルにルーシーの分の食事が置いてないということは、予め母にいらないと告げていたのだろうか。ルーシー一人いないだけで静かなダイニングで、レイは料理へ箸を伸ばした。
母――シエラは何も言わない。ルーシーから何か聞いているのかもしれないし、何も知らないのかもしれない。
気を紛らわせる為につけたテレビは、レイの沈んだ気持ちなどお構いなしに楽しげなバラエティを流している。
「レイ」
味が分からないままに食事を終え、部屋に戻ろうとしたレイを母が呼び止める。
ぎくりと身を強ばらせながら振り返ると、シエラはレイの分のお茶をテーブルに置きながらちょいちょいと手招きをした。
「たまには付き合いなさいよ」
貴方いつもすぐ部屋に戻っちゃうんだから。
文句を言いながらも微笑む母にホッと安堵の息を漏らして席に戻る。
実はこっそり美味しいクッキーを買ってきたのよ、なんて笑う母には、たった今ご飯を食べ終えたばかりだと呆れる娘の言葉は届かない。
「別腹よ、別腹」
クッキーを頬張り幸せだと頬を緩める母の顔に、双子の姉の顔が重なる。
いつだって笑っていた姉のあんな顔、見たのはいつぶりだろうか。思い出そうとしてみたが、浮かんでくるのは馬鹿みたいに無邪気に笑う顔だ。それほど、ルーシーが泣くのは珍しい。
滅多に泣かないルーシーが、自分の所為で泣いている。
その事実にまた胸が傷んで。
自分は関係ないと頭から追い出そうとして、出来なくて。
「お母さんは、」
そこまで言いかけて口を噤む。
ルーシーが部屋で泣いている理由を知っているのか、なんて聞けるはずがない。
自分が悪いと言っているようなものではないか。
「ん?」
「………何でもない」
責められることが怖くて。
自分は悪くないと必死に目を背けて。
胸の痛みに気付かないフリをする。
あぁ、私、最低だ。
こんな奴、好きになってもらえるわけないじゃないか。
無意識に浮かべた自嘲の笑みに、母は何を思ったのだろうか。
「青春ねぇ」
しみじみと呟いたシエラが茶を飲み干して、静かに語りだす。
「昔、すごく好きな人がいてね」
「……何、いきなり」
まぁ良いから聞きなさい。
訝しげに母を見たレイに、シエラはひらひらと手を振りながら話を続ける。
「でも、その人には他に好きな人がいて」
「、」
「それでも、ずーーーっと好きだったのよ」
「………それ、お父さん?」
幼い頃に亡くなった父の顔は朧気で、写真を見てもあまりピンとこない。
リビングに飾ってある家族写真は、レイとルーシーが赤ん坊の頃のものだ。幸せそうな両親の腕に抱かれる自分たちはとても不細工な顔をしているのだけれど、折角撮ったのだからと未だに飾られている。
「ううん、別の人」
あっさり首を振った母に眉根を寄せた。
「どうして?」
「ん?」
「ずっと好きだったのに、何でお父さんと結婚したの?」
好きだったのではないのか。
どうして諦めることが出来たのか。
自然と責めるような視線を送ってしまったレイは、過去に想いを馳せて微笑む母に言葉を奪われた。
「お母さんがその人を好きだって想う以上に、お父さんがお母さんを想ってくれたからよ」
じわり、じわり。
滲む涙に気付かないはずがない母は、相変わらず優しく微笑んだまま新しいクッキーに手を伸ばす。
「その人が運命の人だと思ってたんだけどね」
違ったみたい。
ケラケラ笑いながらクッキーを頬張るシエラから目を逸らして俯けば、拍子に涙が零れて手の甲に落ちた。
「………いる、かな」
「んー?」
「私にも……お父さんみたいに、想ってくれる人」
「いるわよ」
即答する母に、ほんの少しばかり微笑んで。
「適当すぎ」
文句を言えば、絶対よ、だなんて母が笑う。
「………酷いこと、したの」
ルーシーに。
とても酷いことをしたの。
泣かせてしまったの。
ぜんぶ、私の所為なの。
小さな小さな懺悔に、けれど母は声を荒げることも顔を顰めることもしない。
「謝ればいいのよ」
ごめん。ただ一言で構わないわ。
何でもないことのように、母は言う。
そうすれば赦してくれるのだと、確信しているかのように笑う。
「ルーシーは、レイのことが大好きだもの。レイだってそうでしょう?」
そんなことない。
だって、ずっと好きじゃないって思ってた。
嫌いだって思わなかっただけだ。
好きな人を奪われて、何も言ってもらえなくて。
頬を叩いて、嫌いだと叫んだ。
話しかけてくるのを無視して、手紙を隠した。
好きなんかじゃ、ない。
浮かぶ言葉は否定の言葉ばかりで、それでも。
「…………うん」
勝手に口が紡ぐのは、肯定の言葉なのだ。
まるで、それが真実なのだと思い知らせるかのように。