出来ることなら二度と来たくなかった。
出来ることなら二度と会いたくなかった。
目の前で悠然と微笑む男を前に、ルーシーは深呼吸をした。大きく息を吸って、吐いて。それなのに何故だろう、ちっとも落ち着かない。
何もかも分かっているとでも言うような男の表情が、態度が、全てが。憤りを感じずにはいられない。
「これは驚いた。随分と懐かしい顔だ」
何を白々しい。心の内で吐き捨ててルーシーは目を眇める。
ルーシー・カトレットがリサ・サクライと名を変えてホグワーツに転入したことなど、この男はとうの昔に知っていたはずだ。魔法省のお偉方と強い結びつきを持つこの男には、容易に知れたはずなのだから。
「処分を、取り消して」
「さて、何のことかな」
皆目見当もつかない。そう言ってわざとらしく困ったような顔をする男は、本当に人の感情を逆撫でするのが上手い。
ルシウス・マルフォイ。
眉目秀麗で恐ろしいほどに頭の回転が早い。
言い方を変えれば、顔と頭以外――つまりは性格がとんでもなく悪い男。
「せっかく来てくれたのに申し訳ないが、仕事中でね。手短に頼むよ」
「処分を、取り消して」
語気を強めて繰り返す。さて、何の事だろうか。白々しく顎に手を当てて小首を傾げたルシウスは、やがて「あぁ」と、まるでたった今気付いたかのように笑う。
「もしかして、君が言っているのはあの野蛮な獣の事かな? 私の大切な一人息子を襲った、翼の生えた恐ろしい獣――」
「その大切な一人息子は、ハグリッドの指示を無視してバックビークを貶したから襲われたのよ」
「生徒を襲う危険性を持つ生き物を、教材として使う方が間違っている。そうは思わないか?」
ぐ、と言葉に詰まるルーシーにルシウスは笑う。
「本当はあの無能な森番もクビにしてやりたかったんだがね。ダンブルドアも余計な事をしてくれたものだ」
「ハグリッドは無能じゃない!」
間髪入れずに叫ぶルーシーに、笑う。ルシウスが、ただ笑う。
愚かだと、どうしようもない奴だと。
「お前は、まだ”そう”なのか」
「………」
「学習しない奴だ」
笑う。ルシウスが笑う。嗤う。
腹立たしくて。何も言い返せない事がまた腹立たしくて。拳を握りしめたルーシーに、ルシウスがまた嗤う。
「どうして、そうなの」
自分だって。自分達だって。
何でそうなの。何で変わらないの。何で変わってくれないの。
そっちが変わってくれさえすれば、救われる人がどれほどいるか。分かっているくせに変わらない。変わってはくれない。
「どうして? それはこちらが聞きたい。お前は、何故”そう”なんだ?」
「……」
「それ程の力がありながら、由緒正しき血を受け継ぎながら、何故?」
口を噤むルーシーにルシウスは尚も続ける。
何故。本来ならばこちら側にいるべき人間だというのに。こちら側の誰よりも、そうであるべきだというのに。
理解に苦しむ。そう言ってこちらを見るルシウスにルーシーは言った。理由なんて簡単だ。
「ただ、いただけ」
大切な友人が。
大切な家族が。
大切な彼が。
ただ、ルーシー・カトレットの周りにいただけ。
大切だと思える人が。護りたいと思える人が。何よりも、自分よりも優先したいと思える人が。
「愚かな。だから闇に囚われるのだ」
自分よりも大切なものを作るから。己の身体に流れる高貴な血よりも上を作るから、そうなる。
欲を広げるからだ。そう言ってルシウスは嘲笑った。
「だから隙が出来る。あの方の侵入を許す事になる」
立ち上がったルシウスがルーシーの元へと歩み寄ってくる。見下ろす灰青の目には温度など存在していない。身構えるルーシーを鼻で嗤い、ルシウスは踵を返した。
「城へ帰れ」
「勿論そうするわ。アンタが処分を取り下げたらね」
「これは私の温情だ。分からないか? 不当に屋敷に侵入したルーシー・カトレット。魔法省は君を拘束する機会を虎視眈々と狙っているという事に。何も、その力を狙うのはこちら側の人間だけではない」
すらすらと紡ぎ出される言葉にルーシーは顔を歪めた。
分かっている。あそこの役人達がこの力を手にしたいと望んでいる事くらい、知っている。魔法省の力を盤石のものにしたいとでも考えているのだろう。あの男と何ら変わらない。
けれど、分からない。
ルシウスに何の得がある? 魔法省の企みをルーシーに突き付けて警戒させて、それで何の利があるというのか。
訝しむルーシーに気付いたのか、振り返ったルシウスがくすりと笑みを零した。
「なに、ただの気まぐれだ」
馬鹿馬鹿しい。吐き捨ててルーシーはルシウスを睨む。
気まぐれに親切心を出すなど、この男には有り得ない。
「私も楽しみにしている」
「……?」
「奴が、どうするのか」
ひゅっと。喉が震えた。あからさまに動揺を見せたルーシーにルシウスが声を上げて笑う。
「変わらないな、お前は」
いや、違うな。独りごちてルシウスが言う。
「――”お前達”は、か」
変わらない。
変われない。
変わりたくない。
脳裏に蘇る彼の姿に顔を歪めると、それすらも面白いとルシウスが笑う。
「………私は、アンタを赦さない」
彼を。
どうして彼を。
何で。
どうして。
「確かに、あれに声をかけたのは私だ。だが、違うだろう?」
そう言ってルシウスが嗤った。
にぃ、と。
口端を吊り上げたルシウスの薄い唇が殊更ゆっくりと開くのを見ながらルーシーは思う。
あぁ、だめだ。
聞いては駄目だ。
咄嗟に耳を塞ごうとして、けれど、出来なくて。
「あれを闇に堕としたのは、お前だ」
するりと零れ落ちたそれは、まるで呪いのように。
全身を硬直させたルーシーの耳からするりと入り込んで、じわり、じわりと内側に溶けていった。