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「よくも上手く演じたものだ」

嘲るような声が届く。ルーシーはぐっと奥歯を噛みしめた。

「おかげで私は今もこの有り様だ。笑いたいなら笑え」

笑えるわけがない。
その嘲笑が誰に向けたものかなんて、痛いほど分かっているのだから。
馬鹿だ。スネイプも、ルーシー自身も。

「………もっと、良い人、いるよ」

素敵な人と結ばれて、幸せになって欲しかった。そう思って離れたというのに。
嘘つき。頭のどこかでもう一人の自分が囁く。今でも愛してくれて、嬉しいくせに。
幸せになって欲しかった。たとえ傍にいられなくても、生きていてくれさえすれば良いとそう思ってた。

それなのに。あぁ、それなのに。
こうしてスネイプを目の前にして、今も同じことを思えない。願えない。
自分だけを見ていて欲しいだなんて。何て浅ましい。

「そう思える相手が現れないだけだ」

だから、仕方がない。そう言ってスネイプはまた笑う。自分を嘲る。
それがルーシーを喜ばせると同時に苦しませることも知らずに。

愛してる――そう言うことが出来たなら。違う。駄目だ。
伸ばしてはいけない。掴んではいけない。避けなければならない。この人から、離れなければ。
何度も何度も自分に言い聞かせてルーシーはスネイプの背中に顔を埋めた。びくりと震える背中にすら愛しさを覚えてしまう自分は、一体どこまでこの男に囚われてしまっているのだろう。たった数年、心を通わせていただけだというのに。

「寒いから……早く着いて」
「自業自得だ」

玄関まで、あとほんの少し。
スピードが落ちたように思えるのは、ルーシーがそう願っているからだろうか。それとも――。

今だけは。
懐かしい匂いと温もりに、ルーシーはそっと目を閉じた。




結局シリウスを見つけることは出来なかった。
シリウスが侵入を果たしてからというもの、学校中がシリウスの話で持ちきりだ。切り刻まれた太った婦人の肖像画は取り外され、代わりに灰色のポニーに跨ったカドガン卿の肖像画が掛けられることとなった。
誰彼構わず決闘を挑み、日に二度は合言葉――それも、とてつもなく複雑な合言葉だ――を変えるカドガン卿は、グリフィンドール生に歓迎されていなかった。

教師たちはハリーを監視するようになったし、ハリーと共にいるルーシーにも監視の目は向けられた。何もしないと何度も言っているというのに、彼らは一向に信用する素振りを見せない。仕方のない事だけれど、溜息が漏れてしまうのは仕方がないことだろう。監視される二人の気持ちに呼応するかのように、天気もどんどん悪くなっていった。

「ハリー、選手だったんだ」

クィディッチの試合が近付いたある日、ルーシーはロンとハーマイオニーからハリーがクィディッチの選手であることを聞かされた。父親とおなじチェイサーなのかと思えば、シーカーだと言う。

「そっか……凄いね、頑張ってね!」
「ありがとう」
「初戦はスリザリンだ。マルフォイの野郎をガツンとやっつけてやれ!」

ロンの言葉が実現するのは、少なくとも数日後ではなくなったようだ。試合前の最後の練習を終えて談話室に戻ってきたハリーが言うには、初戦の相手はスリザリンからハッフルパフに変わったらしい。
スリザリンのシーカーであるドラコ・マルフォイの腕が完治していないことを理由に日程の変更を申し出たのだと聞いた時には、さすがのルーシーも呆れ果ててしまった。

「マルフォイの腕はどこも悪くないだろ!」
「私だって治ってるしね」

ドラコより遥かに重傷だったルーシーが完治しているのだ、軽傷のドラコが治っていないはずがない。
何ともスリザリンらしい。審判となるマダム・フーチを説得したスネイプも大したものだ。

試合前日、防衛術の授業にリーマスは現れなかった。変身と脱狼薬の後遺症が残っているのだろう。教壇に立つスネイプと目を合わせないように席に着くと授業はすぐに始まった。教室の手前でクィディッチチームのキャプテン、オリバー・ウッドに捕まってしまったハリーはまだ戻ってきていない。
親子揃ってクィディッチ馬鹿なのか。父親にそっくりなオリバーを思い浮かべてルーシーはくすりと笑ったが、その笑みは次のスネイプの一言に凍りつくこととなる。

「我々が今日学ぶのは、人狼である」

リーマスがいない隙に何てものを学ばせようとしているのだ。ルーシーの視線など気付く素振りも見せず、スネイプは人狼の授業を進めていく。グリフィンドール生への当たりが酷いのは、昔のことがあるからか、この場にルーシーがいるからか。ハーマイオニーが泣かされたことに腹を立てたロンがスネイプに噛み付いたが、罰則を言い渡されてからはもう誰も何も言わなかった。
教科書にある人狼についての件を丸写しして、宿題は人狼の見分け方と殺し方とくればもう疑問の余地もない。スネイプは気付かせようとしているのだ。リーマスが人狼であることを。賢いハーマイオニーなんかは気付いてしまうかもしれない。優しい子だから吹聴することはないだろうが、それでもリーマスにとって不利であることは変わりない。

授業が終わり、教室を出たルーシーはハーマイオニー達と別れて物陰に身を潜めた。罰則の為に残されたロンが憤慨した様子で教室を出て行くのを見送って教室の中に身体を滑り込ませると、スネイプはあからさまに顔を顰めた。

「何の用だ」
「いじめっこ」
「何の事だか分からんな」
「ハリーにもそうだけど、ハーマイオニーにも厳しいよね。マグル生まれだから? リリーとは仲良かったのに」
「黙れ」

スネイプが感情を押し殺したような声を出した。

「ハーマイオニーってリリーに似てると思うんだけどな。頭良いし、マグル生まれだし。規則破ると怒るくせに、結局は付き合って――」
「黙れと言っている!!」

スネイプの怒鳴り声が教室中に響いた。

「よくリリーの話が出来るな!? よくポッターの傍にいることが出来るな!? どんな神経をしているんだ!!」

ルーシーは答えない。

「お前は何がしたいんだ! 裏切ったくせに、私がルーピンの正体を暴こうとするとこうして牽制しに来る! 何を考えている!!」
「――散々傷付けて苦しめたからね。リーマスが職を手に入れることが出来たんなら、手放させるようなことはしたくないでしょ。黙ってれば教師でいられるんだから」
「あいつは人狼だ! 私を殺そうとした!!」
「あれはリーマスの所為じゃない」
「私は……っ!」

言葉を切ったスネイプが拳を強く握りしめる。
奥歯を噛みしめて必死に痛みに耐えようとするその姿が、こんなにも苦しくて、嬉しいだなんて。

「殺されていれば良かった……! こんな……っ、苦しい未来が待っていると知っていたのなら……!」
「馬鹿なこと、言わないで」

殺されていれば良かっただなんて。そんなこと、絶対に許さない。
そんなこと、あって良いはずがないのだから。

「死なれちゃ困るんだよ。私の望みの為に、生きててもらわなきゃ」
「………何を、企んでいるんだ……お前は、お前の望みは――」
「言わない。貴方には、絶対に」

俯き拳を握りしめるスネイプを見つめながらルーシーはぐっと眉根を寄せて涙を堪えた。
泣くな。止めろ。そんな権利、私にはない。

「――この間は、ありがとう」

するりと零れた声は自分でも驚くほどに冷め切っていた。