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毎年必ず講師が変わる防衛術の授業。
あの頃も「呪われた教科」なんて言われていたな――そんなことをぼんやり考えながら、ルーシーは教卓に立つリーマスを眺めた。くたびれた古い鞄やつぎはぎのローブが、彼がどれだけ過酷な人生を歩んできたのかを物語っている。
人狼を受け入れてくれる人はそういない。どんなに良い人間だとしても、満月の夜には凶暴な化け物となってしまうのだから無理もない。

けど、それでも。もしあの頃のまま成長していたのなら、リーマスには沢山の味方がいたはずだ。
独り苦しむこともなかった。もし、自分が彼らを護りきることが出来ていたならば――。

「今日は実地練習をしよう」

朗らかに笑うリーマスに従ってルーシー達は防衛術の教室を後にした。ぞろぞろと大所帯で廊下を進みながら、ルーシーは皆の顔が暗いことに気付く。椅子に座って真面目に授業を受けるばかりの教科が多い中、防衛術の実習は嬉しいはずだ。入学したばかりで何も分からない新入生が不安がるのは無理もないが、もう三年生であるハリー達がこんなに不安そうな顔をしている理由が分からない。

「ねぇ、ハーマイオニー」
「なぁに?」
「どうして皆あんな顔してるの? 実習好きじゃないの?」
「あぁ……」

クラスメイト達の顔を見回したハーマイオニーが苦笑を浮かべた。

「そっか、リサは知らないのよね」
「羨ましいよ」
「どういうこと?」

数歩先でうんざりしたように呟いたロンに首を傾げれば、その隣を歩いていたハリーが答えをくれた。
曰く二年生の時の防衛術の教師はどうしようもない奴だった、と。授業内容までは教えてもらわなかったが、三人の顔を見れば何となく察しもつく。
不安げな面持ちでリーマスの背中を見つめる三人に、ルーシーは苦笑を禁じ得なかった。

無言のまま廊下を歩き続けること数分。何度目かの角を曲がると、ポルターガイストのピーブズがいることに気付いた。空中で逆さまになりながら目の前の扉に何かしている。ぞろぞろとやって来た生徒たちに気が付いて振り返ったピーブズは、先頭に立つリーマスを見てニタリと口端を吊り上げた。

「ルーニ、ルーピ、ルーピン。バーカ、マヌケ――」

軽快なテンポで歌い出すピーブズだが、その内容はとても教師に向けるものではない。生徒たちがチラリとリーマスを窺うと、リーマスはいつもと変わらない笑みを浮かべてピーブズに言った。

「ピーブズ、私なら鍵穴からガムを剥がしておくけどね。フィルチさんが箒を取りに入れなくなるじゃないか」

その言葉が本心から来るものかどうかは分からないが、舌を突き出してそっぽを向くピーブズにわざとらしく溜息を漏らしたリーマスを見る限り、元より言うことを聞くとは思っていなかったのだろう。

「この簡単な呪文は役に立つよ」

肩越しに生徒たちを振り返りながら杖をひらひらさせたリーマスが、杖先をチューインガムへと向ける。

「ワディワジ!」

次の瞬間、鍵穴に詰め込まれたチューインガムが勢いよく飛び出した。見事にピーブズの左の鼻の穴に命中すると、ピーブズはもんどり打って反転し、悪態をつきながら消えていった。生徒たちがにわかに騒ぎ出す。

「先生、かっこいい!」
「ディーン、ありがとう」

驚嘆する生徒達ににこりと微笑み、リーマスが再び歩き出す。
後について歩き出した生徒達の顔からはついさっきまでの不安げな表情は消え去り、期待に満ち溢れていた。

数分後、職員室の前でリーマスは足を止めた。
まさか職員室に連れて来られると思っていなかった生徒たちがチラチラと視線を交わし合っていると、扉を開けたリーマスが安心させるような笑みを浮かべながら「さぁ、お入り」と入室を促す。おそるおそる足を進めるクラスメイト達にルーシー達も後に続いた。授業中だからか職員室の中には人の気配がない。
前を歩いていたロンが突然足を止めた。ロンのすぐ後ろを歩いていたルーシーは突然止まったロンの背中に見事にぶつかり、慌てて謝罪の声を上げるがロンは振り返ることもなく苦い顔でどこかを睨むように見つめていた。その視線を追って気付く。あぁ、そうか。だからこんな顔をしているのか、と納得して苦笑した。

「やぁ、セブルス」

リーマスが朗らかに挨拶をする。ハリーとロンが小さく呻いたのが聞こえた。

「これから実習なんだ」
「それは結構。ルーピン、開けておいてくれ。出来れば見たくないのでね」

立ち上がったスネイプが生徒たちと入れ替わるようにして職員室を出て行く。立ち去る際にネビルの落ちこぼれぶりを伝えることも忘れない彼は、まさしくスリザリン寮の人間と言えよう。

「大丈夫だよ。さぁ、おいで」

名指しで貶され肩を落とすネビルに優しく微笑みながら、リーマスが職員室の奥へと進んでいく。最奥には古い洋箪笥がぽつんと置かれており、その脇にリーマスが並んだ途端に箪笥がガタガタと揺れだした。

「心配しなくていい」

驚いて箪笥から離れた生徒たちにリーマスが笑う。

「中に真似妖怪のボガートが入っているんだ」

果たしてそれは心配しなくていいことなのか。そんな顔で箪笥を見つめる生徒たちに、リーマスはボガートについての説明を始めた。

「ボガートは暗くて狭い所を好む。洋箪笥、ベッド下の隙間、流しの下の食器棚など。ここにいるのは昨日の午後に入り込んだやつで、三年生の実習に使いたいからとそのまま放っておいてもらったんだ。――それでは、最初の質問です」

ピンと人差し指を立てて問いかける。

「真似妖怪のボガートとは何でしょう?」

素早く手を上げたのはハーマイオニーだ。

「形態模写妖怪です。私達が一番怖いと思うのはこれだと判断すると、それに姿を変えることが出来ます」
「私でもそんなに上手くは説明出来なかっただろう」

満足気に頷いたリーマスに、ハーマイオニーが頬を染めた。

「中の暗がりに座り込んでいるボガートは、まだ何の姿にもなっていない。箪笥の外にいる誰かが何を怖がるのかまだ知らないからね。ボガートが一人の時にどんな姿をしているのかは誰もしらない。しかし、私が外に出してやると忽ち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿を変えるはずだ。と言うことはつまり、初めから私達の方がボガートより有利な立場にある。ハリー、何故だか分かるかい?」

突然名指しで問いかけられたハリーが驚き目を瞠る。隣のロンへ向けた視線を泳がせてから、そっと囁くように口を開いた。

「えーと……僕達、沢山いるので、どんな姿に変身すればいいか分からない?」
「その通り。ボガートを退治するときは誰かと一緒にいるのが一番いい。向こうが混乱するからね」

にっこり頷いたリーマスに、ハリーがホッと胸を撫で下ろした。

「ボガートを退治させる呪文は簡単だが、精神力が必要だ。こいつを本当にやっつけるのは笑いなんだ。君たちはボガートに、君たちが滑稽だと思える姿を取らせる必要がある。はじめは杖なしで練習しよう。私に続いて――リディクラス!」
「リディクラス!」

クラス全員がリーマスに続く。

「そう、とっても上手だ。ここまでは簡単なんだけどね、呪文だけでは十分じゃないんだよ。――そこでネビル、君の登場だ」

洋箪笥が一段と大きくガタガタと震えた。しかし、ネビルの方がもっとガタガタ震えていた。

「よーしネビル、一つずついこう。君が世界で一番怖いものは何だい?」
「――、」
「ん? ごめんネビル、聞こえなかった」

顔面蒼白になるネビルにリーマスが優しく問いかける。
ネビルは助けを求めるように辺りをキョロキョロと見回すが、無理だと悟ると全身を震わせながら声を絞り出した。

「スネイプ先生」

掠れたか細い声が静まり返った教室に溶けて消える。クラス中が笑い出し、ネビルはつられるようにしてぎこちなく笑った。

不器用な人だとルーシーは思う。
容赦なく他人を傷つける言葉を使う彼は、けれど時に自分自身をすら傷つけてしまう人だった。誤解されやすいとかそういう話ではない。まさしく彼はスリザリンらしい人だった。

けれど、それでも彼は想ってくれた。
他人を傷つける言葉ばかり吐き出すその口で「好きだ」と言ってくれた。
闇の魔法ばかり放つその杖から、小さな花を生み出してくれたことだってあった。
大凡スネイプらしくないことを、ルーシーの為だけにしてくれた。
愛してくれた。沢山の幸せをくれた。スネイプの良い所なんて、自分だけが知っていれば良いとルーシーは思う。

自分以外の誰かに、微笑みかけることなんてしないで。
余りにも身勝手な自分を自嘲しながら、ルーシーは顔を俯かせた。