変わらないこと


卒業を間近に控えたある日のこと、スネイプとルーシーはいつものように閉心術の練習をしようと空き教室へ向かっていた。本当は必要の部屋を使いたいが、数日前からあの廊下で逢瀬を重ねるカップルがいるのだ。卒業までの時間を惜しむように愛を語り合う彼らに「別の場所へ行け」なんて言いに行くことも出来ず、二人は四階の空き教室で練習するようになった。
隣を歩くルーシーを横目で盗み見て、スネイプは彼女の心を開くたびに見える不思議な光景に思いを馳せる。肩まで伸びた黒髪に真っ黒のローブ。特徴的な鉤鼻は見慣れたもので、あれが自分ではないなどと言えるほどスネイプは楽観的ではなかった。

あれはセブルス・スネイプだ。首元から夥しいほどの血が出ていたし、開いたままの目は暗く濁っていて絶命していることは明らかだった。そしてその死因が安らかなものでないことも。
未来の自分が無残に殺されているのを目の当たりにしたスネイプの気持ちは、どう表現したら良いのだろうか。驚き、困惑、怒り――いくつもの感情が入り混じってぐちゃぐちゃだ。
それなのに、そんな光景を見せたルーシーは何も教えてはくれない。一体どうして彼女の心にあのようなものがあるのか。まさか彼女には未来が視えていて、あれがスネイプの未来だとでも言うのだろうか。
聞きたいことは沢山あって、けれどどれ一つとして答えを得ることは出来ない。あれ以来ルーシーは酷く悩んでいるようだが、スネイプだって悩んでいる。他でもない自分自身のことなのだから当然だ。

「あ……ごめん、先に行ってて」

角を曲がったところでトイレを指すルーシーに頷き、スネイプは一人いつもの教室へ向かう。スネイプと一緒にいることが心苦しかったのだろうか。あの光景について尋ねられることを恐れるルーシーは、あれからスネイプを避ける素振りを見せている。きっと先程のトイレもただの口実だろう。
悩み事はまだある。だいぶマシになってきたものの、ルーシーの閉心術の技術はまだ甘い。これではヴォルデモートに心を閉ざし続けることは到底無理な話だ。
もし本当に未来が視えるのだとしたら――スネイプは断言できる。ヴォルデモートはルーシーを利用しようとするに決まっている。彼女もそれを分かっているからこうして閉心術を会得しようと努力しているのだ。
難しい顔で考えながら教室のドアを開けると、驚くことにそこには先客がいた。

「、リリー……」

教室にはリリー・エヴァンズが一人でいた。ジェームズと付き合い始めたという噂はもちろんスネイプの耳にも届いているし、二人が一緒にいる所も遠目に何度も見た。そのたびにルーシーが気遣うように見てくるのを鬱陶しいとあしらったのはいつのことだったか。

「久しぶり」
「あ、あぁ……」

まさか話しかけられるとは思ってもみなかったスネイプは驚いた。緊張しながら返事をしてきょろりと視線を巡らせる。てっきりジェームズか友人を待っているのかと思ったが、教室内にも廊下にも彼女以外のの姿はない。

「一人よ。そう言われて来たんだもの」
「え……?」
「頼まれたのよ。貴方と話をしてやってほしいって」

スネイプは息を呑んだ。つい先ほど別れたルーシーの逃げるような様子を思い出す。スネイプといることが気まずかったのだと思っていたが、まさかこんなことを企んでいたなんて。
動揺から抜け出せず戸口に立ち尽くすスネイプに、リリーが中に入るように促してくる。鈍い動作で教室に入ったスネイプは、忙しなく彷徨わせていた視線を一瞬だけリリーの方へと向けた。ぱちり。ずっとこちらを見ていたのか、澄んだ翡翠とかち合い逃げるように顔を俯かせる。
リリーは何も言わない。沈黙が教室を満たし、息が詰まりそうだ。スネイプは心の中でルーシーに文句を言った。一体どうしろと言うのだ。一瞬かち合った目はスネイプへの親しみを抱いてはいなかった。彼女はまだスネイプを許していないのは明らかだというのに、一体どんな事を言って彼女をここへ呼んだのか。
動揺を押し殺して深呼吸を一つ。スネイプは微かに震えた声でそっと囁くように言葉を紡いだ。

「……ずっと、謝りたかった」
「もう聞いたわ」
「それでも……それでも、謝りたかった。本当に……君に酷いことを言ってしまった」
「もういいの」

突き放すような声音にぐっと奥歯を噛みしめる。こうなる事は分かっていた。ルーシーだって分かっていたはずだ。それなのにどうして今更こんなお膳立てをしたのだろうか。

「ルーシーが出した条件だったのよ。ジェームズと仲直りする代わりに、私に貴方とちゃんと話をしてやってくれって」
「、」

何て馬鹿なことを。あれだけ嫌っていた兄と時折会うようになったから、どうしたのかと思えば。閉心術の特訓中にその記憶を覗いたことはない。きっとルーシーにとって絶対にスネイプに見られたくないものだったに違いない。何だ、少しは上達してるじゃないかと見当違いなことを考えながらスネイプは口を開いた。

「じゃあ、もう良い。嫌なことをさせてすまなかった……ポッターには僕から言っておく」

リリーが嫌々ここに来たのなら、そんなのちっとも嬉しくない。現にリリーはにこりともせずに淡々と話をしている。まるで最初から何の関係もなかったかのように。

「そう、分かったわ」

あっさり頷いたリリーが扉へ向かうのをスネイプは見ることが出来なかった。また拒絶されたようで惨めだった。こんな条件を出したルーシーを恨みもした。

「……私は貴方達を認めることは出来ないわ」

早く立ち去ってくれと思うのに願いは叶わない。扉の前で立ち止まったリリーが突き放すような声で言った。

「闇の魔術を簡単に使う人達を信用することは出来ない」

早く、早く行ってくれ。頼むから。

「でも……それでも、貴方は私の大切な友人よ」

スネイプは弾かれたように顔を上げた。リリーはこちらに背を向けたまま表情は見えない。

「認めることは出来ない。一緒にいることも出来ない。信用することも……それでも、貴方は私に魔法の存在を教えてくれた。この世界のことを教えてくれた」
「リリー……」
「…………ありがとう、セブ」

振り返らないまま出て行ったリリーの声が優しかったように感じたのは、スネイプの気の所為だろうか。
ルーシーが教室にやってきたのはそれから数分後のことで、気まずそうにチラチラとこちらを見るルーシーにクッションを投げつけると情けない悲鳴が上がった。

「いったぁ……」
「余計なことをするな」
「ご、ごめん……」

シュンと項垂れるルーシーを尻目に、肩慣らしとして部屋の隅にあるクッションを呼び寄せては反対呪文で元に戻す。ややあってルーシーものろのろと同じように肩慣らしを始めた。

「…………ありがとう」
「えっ!?」

信じられないという顔で振り向いたルーシーに杖を向けて呪文を放つ。悲鳴を上げながらも咄嗟に対処するルーシーの慌てようが無様でおかしく笑みがこぼれてくる。

「ひどい!」
「対処できたじゃないか」
「そうだけど! ……あぁ、もう。髪がぐちゃぐちゃ」

くせの有る毛を指で梳きながらブツブツと文句を零すルーシーに「いつもだろ」と冷やかすと恨めし気な視線が向けられる。スネイプ自身は得だと感じたことはないが、彼女はスネイプの真っすぐな髪質を時折羨ましそうに見てくるのだ。

「今後、勝手に余計なことをしないように」
「分かったよ…………でも、良かった」

床に座り込み、疲れ切った顔をへにゃりと緩ませたルーシーがそう呟く。

「酷い顔だ」
「ひどい!」

喚くルーシーの顔面にクッションを投げつけたスネイプの顔が、仄かに赤く染まっていたのをルーシーは知らない。

28.譲れないもの