セブルス・スネイプ


時が経つのは早いものだとスネイプは思う。
一日が二十四時間であることは変わらない事実だというのに、その日の精神状態によって長くも短くも感じるから不思議だ。酷く疲れながらベッドに潜った日は一日が長かったと感じるのに、数日経って振り返ってみるとそうでもなかったように感じる。

”三年間”と聞くと酷く長く感じるのに、いざ三年経って振り返ってみるとあっという間だったように思える。
ホグワーツに入学して四年と少し経った今日、スネイプは一つの転機に直面していた。

”なぁ、お前もあいつら気に食わないだろ? いつも偉そうにしやがってムカつくよな。俺らさ、いいこと思いついたんだ。三階にある隻腕の甲冑分かるか? それの横の教室。八時に来いよ”

そんな小悪党丸出しな台詞で誘われたのは昼過ぎの事だ。夕食を終え、魔法薬学の事でスラグホーンの元に質問に行って来たスネイプは、八時を少し過ぎたばかりの腕時計を見て溜息を漏らした。あまり気は進まないが誘ってくれたのは同寮生だ。面倒事にしたくはない。

教室の前にやって来たスネイプは、教室の戸を開けようとして魔法で施錠されている事に気がついた。一体何をしているのやら。周りに誰もいない事を確認して杖を取り出すと、静かな声で解錠呪文で鍵を開けた。戸を開けるとハッと息を呑んだ同寮生達が一斉に振り返る。スネイプに声をかけてきたのは同学年の男子生徒だったが、そこには上級生達の姿もちらほらあった。

「な、何だ、スネイプか……」
「驚かせるなよ」

スネイプを見て安堵した様子の彼らがさっさと戸を閉めろと声を潜めて言う。その様子に、ここに来てしまった事を少しばかり後悔しながら戸を閉めたスネイプは、気乗りしないまま彼らの元へ歩み寄った。

「何をしてるんだ?」

教室の中央にある何かをぐるりと囲んでいる彼らに問いかけると、すぐそこにいたマルシベールが脇にずれてスネイプに場所を作ってくれた。一人分空いたスペースに立ったスネイプは、前にいる上級生たちの頭の隙間から漸く円の中心を見ることが出来た。

「、」

その光景にスネイプは呼吸をする事すら忘れた。
人だかりの中心にいたのは大嫌いな顔だった。ここにいるスリザリン生にとってもスネイプにとっても大嫌いな顔で、けれど大嫌いな奴ではなかった。ここにいる全員にとって”彼女”はそうだったはずだ。

「……な、に、してるんだ……?」

無意識に漏らした疑問は掠れ声だった。視線は彼女に釘付けになったまま、スネイプは隣のマルシベールに問いかける。

「見たまんま」

マルシベールが無感動に答える。怯えた顔の彼女を見るその目も冷めていた。

「俺もついさっき来た所だ。兄に味わわされた屈辱を”あれ”で晴らそうって魂胆らしい」

”あれ”で。奴の妹で。同じ顔を持った別人で。
ジェームズ・ポッターへの憎しみを、ルーシー・ポッターに。
顔を歪めたスネイプにマルシベールは肩を竦め、視線を”彼女”の方へと戻した。スネイプはもうそちらを見れなかった。

別におかしい事ではなかった。それなりの家に生まれた者達が多いスリザリンの中では、一人の失態を一家全員が贖うというのは普通の事だったし、そもそもこの学校だって生徒各人の言動によって寮全体の点数が減るという方法を取っているのだから、彼らがジェームズへの責任をルーシーに望むのだっておかしな事ではない。
けれど、これはどうなのだろうか。スネイプはそろりとルーシーの方へ視線を戻してすぐに目を伏せた。

おかしな事ではない。ジェームズが大嫌いなのはスネイプだって同じだ。ルーシーの事だって別に好きでも何でもない。奴にされた事を彼女にするくらいなら、まぁ仕方ないだろうと目を瞑っていただろうと思う。

「――やめてください」

全員の目がスネイプに向いた。深く息を吸って、吐いて。スネイプは上級生たちを見据える。面倒に巻き込まれる事を厭って離れたマルシベールの溜息が聞こえた。

「何だよ、スネイプ」
「こんな事をしたって、ポッターは痛くも痒くもない。先輩方がご存知かどうかは知りませんが、そいつはポッターの弱点にはなり得ません」

強引に前に進み出たスネイプは、青褪めた顔でこちらを見上げるルーシーを見下ろして杖を取り出した。腕を拘束する縄を解いてやれば、起き上がったルーシーが震える手で制服を直している。

「じゃあどうするんだ? お前だってあいつに仕返ししてやりたいと思うだろ」

当たり前だ。心の中で吐き捨ててスネイプは目を眇める。

「まさかこんな低俗な方法で仕返しをするなんて、思いも寄りませんでした」
「スネイプ!」
「写真でも撮ってポッターに送りつけようと考えたんでしょうが、証拠を残した時点で貴方達の負けは目に見えてます。奴は意気揚々と写真をマクゴナガルやダンブルドアに差し出し、貴方達は奴に大した傷を負わせられないまま学校を追い出される事になる。ポッターの傷より家名の傷の方が深くなる事でしょうね」

ぐっと言葉に詰まる上級生たちを見回してスネイプはルーシーを見下ろした。俯いたままのルーシーに手を差し出せば、おそるおそる掴んだルーシーが立ち上がる。

「こいつは僕がもらう」
「どうする気だ?」
「貴方達もご存知の通り奴らが一番憎んでいるのは僕で、奴らを一番憎んでいるのも僕だ」
「だから何だって言うんだ?」
「まさか最後まで言わなければ分からないはずはないでしょうけど、一応お伝えしておくと、僕とこいつが共にいるだけでポッター達への嫌がらせとしては十分だ。それに、奴は自分の双子の妹がスリザリン生である事を酷く嫌っている。孤立させるより輪の中に入れておいた方が奴には効果的だ」

早口でまくし立てたスネイプはルーシーの手を引いて教室を出た。無言のまま廊下を進み、階段を上がり、角を曲がり――先ほどの教室からだいぶ離れた所でスネイプは漸く足を止めた。相変わらず青い顔のルーシーを振り返ると、身を強ばらせたルーシーが唇をカタカタ震わせながらこちらを見つめている。

「……他言は無用だ」

一瞬泣きそうに顔を歪めたルーシーが顔を伏せる。やがて小さく頷いたのを確認してスネイプは手を離した。途端にその場にへたり込み自分を抱きしめるルーシーを見下ろして、溜息を一つ。

「良かったじゃないか、スリザリンで。他の寮だったらこうはならなかった」
「…………他の寮だったら、ジェームズが助けてくれた」

返ってきた小さな小さな声にスネイプは鼻を鳴らした。

「本当にそう思うか?」

ルーシーは答えない。それが答えだ。
あのジェームズ・ポッターがこうなる可能性を想定出来なかったはずがない。憎たらしい事にほぼ全ての教科において首位を占めるあの男が、こんな簡単な事に考えが及ばなかったなど有り得ない。

ルーシーの言うとおりだ。もしルーシーが他の寮だったならあの男は彼女を助けただろう。そもそもスリザリン生に喧嘩を吹っかけたりはしなかったはずだ。防衛の為の争いは別として、大事な妹の為に自らスリザリン生に呪いをかけて遊んだりはしなかった。
それはつまり、ルーシーなどどうなっても構わないという事ではないか。

「……どうして、たすけてくれたの」

涙混じりの声がスネイプに問いかけてくる。

「お前の為じゃない。リリーの耳に入ったら僕が責められるから、ただそれだけだ」

咄嗟にそれらしい理由を口にしてスネイプはルーシーから視線を逸らした。
彼らの仕返しがこんな方法ではなかったならスネイプはルーシーを助けなかった。そうすればリリーはスネイプを責めただろう。止めて正解だったとスネイプはそっと安堵の息を漏らした。彼らがあんな手段に出てくれた事に感謝するべきかもしれない。
仲が良いわけでもない双子の兄の所為で苦しむルーシーの事など、スネイプにとってはどうでも良かった。

「それでも、ありがとう」

そっと落とされた声に振り向けば、相変わらず青白い顔の大嫌いな顔が下手くそな笑みを浮かべていた。笑いたくないなら笑わなければ良いのにと思ったけれど、いつもの感情の読めない顔に比べたらよっぽど人間らしいとも思う。

「そろそろ帰るぞ」

頷いたルーシーが立ち上がると、二人は寮へ向かって歩き出した。玄関ホールに差し掛かった頃、半歩後ろをついてくるルーシーが小さな声でスネイプを呼んだ。

「良かったの? 私といたら、もっと嫌な思いさせられるかも……」
「そっちこそ良いのか? 僕といたらお前まで奴に攻撃されるかもしれないぞ」

意地悪な返し方だという自覚はあったし、ルーシーが何と返すのかもスネイプには薄々分かっていた。

「……さっきのよりは……マシ、かな」
「だろうな」

より安全な方を選ぶ――当然の選択だ。既に解れている兄との関係よりも、自分の身の方が大事に決まっている。
不意にスネイプは彼女の兄を思い浮かべた。これがもしジェームズと悪友のシリウスの話だったとしたら。彼らは互いに自分の身の安全よりも友情の方に重きを置いたことだろう。そう考えれば、なるほど。彼女はこちら側に近い人間ということなのだろう。

似たような事を考えていたのだろうか。難しい顔で溜息を落とすルーシーをちらりと見て、スネイプは寮の前で足を止めた。

「明日の放課後の予定は?」
「スラグホーン先生に教室を使わせてもらう事になってるけど……」
「そうか」

頷いて合言葉を口にする。談話室に入ったスネイプは難しい顔のルーシーを振り返った。

「六時半」
「え?」
「明日の朝」
「あ……うん、分かった」

ぎこちなく頷いたルーシーを尻目に部屋に戻ると、マルシベールとエイブリーが意味ありげな視線を向けてきた。
面倒な奴らだと思いながら何かと問いかければ、顔を見合わせた彼らがくつりと笑う。

「いい趣味してるなと思って」
「それで、感想は?」

揶揄うエイブリーをじろりと睨み付けてベッドに寝転がり、溜息を一つ。

「ただの囮だ」
「なるのか? 仲が良くないのに」
「意識はするだろ」
「どうだか」
「するさ」

スネイプは確信していた。どんなに嫌っていようとジェームズ・ポッターは半身ともいうべき双子の妹を完全に意識の外に追いやる事は出来ない。それに、何かと彼女を気にかけているリリーが声をかけてくるかもしれない。
面倒を起こさないのであれば、成績優秀のルーシー・ポッターという存在はスネイプにとって不利にはならないはずだ。

全て自分の為だ。口の中で呟いてスネイプはそっと目を閉じた。

09.優しい人