賢者の石 08


千年も前からそびえ立つホグワーツ城はとんでもなく広い。
ただでさえ把握しきれていない教室に移動するのは大変だが、何よりも大変だったのは気まぐれに動く階段だ。
呪文学の教室に向かっていたはずなのに、階段の気まぐれに巻き込まれてしまい、辿り着いたのが変身術の教室だった事もある。呪文学のフリットウィック先生は「最初の一週間はよくある事です。次からは巻き込まれないように気を付けてください」と注意をしただけで減点をする事はなかった。

優しい先生で良かったねと笑い合った次の授業、またもや気まぐれに巻き込まれて変身術の授業に遅れた時には、寮監でもあるマクゴナガルから厳しいお説教を受けてしまった。幸い、最初の一週間だからと減点はしないでくれたが、きっと父であるセブルスの耳には入ってしまうのだろう。溜息しか出ない。

授業は順調だった。
父がホグワーツの教授だからか、タミは幼い頃から色々な事を教えられた。彼の担当する魔法薬学だけならまだしも、呪文学だって高学年のものまで教えられたし、薬学には不可欠だからと薬草学の勉強までさせられた。真夜中に「たまには散歩しよう」という母の提案を喜んだが、それも星の名前や惑星の動きを覚えるという勉強の時間だった。

”君はたくさんの可能性を持っている。タミ、たくさん学ぶんだよ”

母の言っている事はやはりよく分からなかったけれど、母の杖を使って覚えた呪文を披露したり、覚えた薬草の知識を口にすれば父も母もとても喜んでいた。だからこそずっと勉強を頑張ってきたのだ。

「タミって頭良かったんだ」
「別に普通だよ。小さい頃からいっぱい勉強しただけ」

何も勉強しないまま入学していれば、ハリーやロンと大差なかっただろう。教育熱心な両親に不満を覚えた日もあったけれど、授業で苦労しないで済んでいるのは間違いなく彼らのおかげだ。

「今日は何の授業だっけ?」

金曜日、朝食の席でオートミールを掬いながらハリーが言った。

「魔法薬学だよ! パパの授業!」
「しかもスリザリンの連中と一緒だよ。スネイプってスリザリンの寮監だって聞いたよ。いつもスリザリンを贔屓するんだってみんな言ってる――本当かどうか、もうすぐ分かるよ」

僅かに不安を滲ませるハリーとロン。間違いなく本当だろうとタミは思った。
セブルスのグリフィンドール嫌いは幼い頃から知っていたし、ルーシーが言うには「その方が都合が良い」らしい。家でセブルスに魔法薬学を教わっている時も厳しいと思ったけれど、学校ではそれ以上だと言うのだから想像もつかない。

「マクゴナガルが僕らを贔屓してくれたらいいのに」

ぼやくハリーにタミとロンが肩を竦めた。グリフィンドールの寮監であるマクゴナガルは、けれどセブルスと違って自寮を贔屓するという考えは持っていないらしい。昨日も宿題を大量に出されたばかりだ。
ハリーの背中をぽんぽんと叩いたその時、何百羽というふくろうが大広間に飛び込んできた。家でもたまにふくろうが手紙を運んできた事はあったけれど、さすがにこれだけ多いと驚いてしまう。最初の朝食の席でハリーも驚いていたけれど、タミも同じくらい間抜けな顔をしていたはずだ。

「ママからだ」

母は二、三日に一回のペースでお菓子を送ってくれた。入学してから今日で三度目だ。膝に落とされた小包に頬を緩ませながら添えられた手紙を開こうとすると、ハリーが驚いた声を上げた。ハリーにも手紙が届いたのだ。

「ハグリッドからだ!」
「何て書いてあるの?」
「ちょっと待って――今日の午後、お茶をしに来ないかって!」

嬉しそうな声を上げたハリーがハグリッドに”YES”と返事を書くのを見ながら、タミは自分まで嬉しくなっている事に気付いた。ずっと独りぼっちだったハリー。タミ以外の友達がいなくて、いつも従兄弟のダドリーに虐められていたハリーが、ホグワーツに入学してから友達がたくさん出来て良かったと思ったし、当たり前のようにタミと一緒にいてくれる事が嬉しかった。

「ヘレナからの手紙はどうだったの?」

ペットの白ふくろうに手紙を持たせたハリーが問いかけてくる。タミは手にしたままの手紙を開いた。

「”お菓子を送ります。今日はパパの最初の授業ですね、感想を聞かせてください。パパがどれだけ嫌な奴なのか、とっても気になります”だって」
「そんなに嫌な奴なの?」
「まだあるよ。”ハリーが泣かされたら、ちゃんと慰めてあげるのよ”だって」
「泣か……!?」

一瞬で青褪めたハリーがスプーンを置いた。すっかり食欲が失せてしまったらしいが、これでは空腹で授業どころではなくなってしまう。タミはフォークをソーセージに突き刺してハリーに差し出した。

「ちゃんと食べなきゃ」
「もう食べる気しないよ……」
「午後はハグリッドの所に行くんでしょう? 大丈夫だって、たった二時間だよ」
「二時間ずっと嫌な思いしなきゃなんないの?」

肩を落とすハリーに、けれどタミは励ます言葉を持っていない。
ルーシーの言葉が正しければ――正しいに決まっているのだけれど――二時間どころか、この先ずっと魔法薬学の授業のたびに嫌な思いをする事になるはずだ。

「頑張れ」

投げやりに応援したら「助けてよ!」と返されたので、ハリーが空腹で苦しまないよう、手にしたままのソーセージを口の中に突っ込んでやった。




セブルスの授業はタミの想像を遥かに超えていた。
グリフィンドール生全員に対してそうなのか、それともハリーだけに向けたものなのかは分からないが、とにかく、ルーシーの言っていた事は大袈裟でも何でもなかったのだ。

上級生で学習する薬について出題する父を見ながら、タミは呆れを通り越して感心すらしていた。先ほどからセブルスが出題するたびにグリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーが即座に挙手をするのだが、見事に無視されている。あくまでもハリー一人を標的にしたいらしい。

タミの挙げる話題がいつもハリーだった事も理由の一つなのだろうか。そうだとすれば、後でハリーに謝らなければ。まさかここまで嫌われているとは思ってもみなかった。今までハリーの話題ばかり挙げていた事を謝れば、少しはハリーへの態度が良くなるだろうか? おそらくルーシーがここにいれば「無理だよ」と言うのだろう。肩を竦めて笑う母の姿が容易に想像出来て、いっそ笑うしかない。

「分かりません」

負けじとセブルスを見つめ返しながら答えるハリーと、そんなハリーを見下ろして次々に出題していくセブルス。キリがないと思ったのはタミだけではないだろうが、だからと言ってこれを止めさせる事の出来る者はおそらくいないだろう。
先ほどからスリザリンの生徒達が身を捩って笑っているのが腹立たしい。

「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」

この質問で、ハーマイオニーはとうとう椅子から立ち上がり、地下牢の天井に届かんばかりに手を伸ばした。

「分かりません」

ハリーが落ち着いた声で答えた。

「ハーマイオニーが分かっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう?」

思わず笑ってしまったのはタミだけではないはずだ。口元が緩むのを隠す為に顔を俯かせ、机の下でハリーの靴に自分のそれをこつんと当てる。笑わせないでというタミの訴えが通じたのか、ハリーが同じようにこつんと靴を当ててきた。

「ポッター、君の無礼な態度でグリフィンドールは一点減点」

授業はその後もグリフィンドールに不利な状況で行われた。
二人一組でおできを治す薬を調合する事になったが、わざわざペアを指示してきたセブルスのおかげでハリーと組むことは叶わず、タミはハーマイオニーと組むことになった。

「よろしく、ハーマイオニー」
「こちらこそ」

ハーマイオニーはとても優秀だと、タミはすぐに理解した。
セブルスの出した問題に対して全て挙手していたのだから当然といえば当然なのだろう。干しイラクサを計る時も蛇の牙を砕く時も、彼女はセブルスに注意を受ける事はなかった。

「貴方って凄いのね」

角ナメクジを茹でている時にハーマイオニーが囁いた。何がと問えば、作業に迷いがないからだとハーマイオニーが言う。

「スネイプ先生の娘だって聞いたわ。小さい頃から勉強をしていたの?」
「うん、したよ。ハーマイオニーも?」

これほど優秀なのだからそうに決まっている――けれどハーマイオニーは微かに笑いながら首を振った。

「私は違うわ。だって私の両親はマグルなんだもの、七月の終わりに入学許可証が届くまで私は自分が魔女だって事も、魔法の存在も知らなかったわ」
「まさか!」

そんなはずはない。だって、ハーマイオニーの作業だって迷いがない。時折、材料を確かめるように見つめるだけだ。流れるような作業に、きっと自分と同じように幼い頃から勉強していたのだろうと思っていたのに、マグル生まれだったなんて。さっきだってクラスで唯一彼女だけが手を挙げていたではないか。まさか教科書を手に入れてからひと月足らずで全て覚えたとでも言うのだろうか?

幼い頃から勉強していたというのに、たったひと月しか勉強していないハーマイオニーと大差ないなんて。情けない。両親はタミの覚えが良いと褒めてくれたけれど、もしかしたら同情からそう言っていたのかもしれない。すっかり気持ちが落ち込んでしまったその時、シューシューという大きな音がどこからか上がった。同時に教室いっぱいに強烈な緑色の煙が広がる。

「な、何!?」
「タミ! 足元よ! 椅子に上がって!」

ハーマイオニーの声に慌てて椅子に上がると、タミはじっと目を凝らして床を見つめた。こぼれた薬が石の床を伝って教室中に広がっている。一体どうしてこんな事になっているのか分からない。クラス中の生徒が椅子の上に避難し終えた頃、セブルスの怒鳴り声が響いた。

「馬鹿者!」

杖を取り出したセブルスが薬を消し去り煙を晴らす。同じ寮のネビル・ロングボトムが薬をかぶってしまい、腕や足のそこら中に真っ赤なおできを作り呻き声を上げているのが見えた。

「大方、大鍋を火から降ろさない内に山嵐の針を入れたんだな?」

泣きだしたネビルの鼻までおできが広がっている。最早おできが出来ていない部分を探す方が難しい程になっているネビルを嫌そうに見たセブルスは、ネビルとペアを組んでいたシェーマス・フィネガンに医務室へ連れて行くよう言いつけると、その隣で作業をしていたハリーとロンに矛先を向けた。

「ポッター、針を入れてはいけないと何故言わなかった? 彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな?」

あまりにも理不尽なそれに、グリフィンドール生が一斉に顔を顰めた。それに気付いているだろうに、セブルスは「グリフィンドールはもう一点減点」と容赦なく減点を言い渡す。溜息を落とすハーマイオニーの横でタミは肩を竦めた。
漸く授業が終わると、生徒達はそそくさと教室を出て行った。荷物を抱えたハリーがセブルスをちらりと確認してからこちらにやって来る。早く行こう。早口で囁かれた声にタミは首を振った。

「先に行ってて。ママに伝言頼まれてるの」
「僕ら、ハグリッドの所に行くんだ」
「後から追うよ。私も行っていいでしょう?」
「もちろん」

頷いて少しだけ微笑んだハリーは、またちらりとセブルスの方を見て顰め面になり教室を出て行った。それを見送ったタミはくるりと踵を返し、教室を出て行こうとする生徒達の波を掻き分けて片付けをする父の元へ向かう。

「パパ」

教室に残っていた生徒達が一斉に振り向いた。

「ここでは先生と呼ぶように。グリフィンドール一点減点」

さらりと言い渡された減点に「あ」と声を上げて頭を掻く。減点されてしまった。しかもセブルスから。

「授業はもう終わったのに……」
「授業が終わろうと、我輩が先生で君が生徒だという事に変わりはない」

素っ気なく返されるそれに唇を尖らせ、タミはちらりとドアの方を見た。もう誰も教室に残っていない。にんまりと唇で弧を描いたタミはこちらに背を向けたままのセブルスにそっと忍び寄り、思い切り抱きついた。前のめりになったセブルスが呆れを含んだ眼差しを向けてくる。

「もう誰もいないもん」
「…………まったく」

溜息と共に振り向いたセブルスに、今度は正面から抱きついた。甘えん坊め。そんな事を言いながらも抱きしめ返して頭まで撫でてくれるのだから、タミが甘えたがるのは間違いなくセブルスの所為だ。

「パパ、すっごい意地悪だったよ」
「今更変える気はないのでね」
「ハリーばっかり虐めたら可哀想よ」
「文句を言う為に残ったのなら、もう行きなさい。まだ片付けが残っているのでね」

ぱっと手を放すセブルスに「嫌よ」としがみつけば、呆れた声を出したセブルスがまた抱きしめてくれる。やはり優しい父だ。

「ねぇパパ、怒ってる? 私がグリフィンドールに入ったこと」
「そう思うか?」

肩まで伸びた黒髪に指を通しながらセブルスが聞き返してくる。タミはすぐに首を振った。

「だって、パパは私の事が大好きだもの」
「分かっているのなら、その質問は無意味だな」
「じゃあ、ハリーと仲良くするのは?」

途端に苦い顔をしたセブルスが呻き声を上げる。分かりやすいそれにタミは声を上げて笑った。

「気に食わんのは確かだが……タミの好きなようにしなさい」
「いいの?」
「どうせ、止めたって聞かないのだろう? お前はルーシーにそっくりだからな」

額にキスを落としたセブルスが微かに笑む。さっきまでの”スネイプ教授”からは想像もつかない優しい笑みに、タミはくふくふと笑みを零してぐりぐりと額をこすりつけた。意地悪な先生でも大好きだ。不意に授業での事を思い出した。ついさっき、自分の頭の悪さに落ち込んだのを思い出したのだ。

「……パパ、ごめんなさい」
「急にどうしたんだ?」

揃いの黒髪に指を通しながらセブルスが優しい声を出した。肩を落としながらハーマイオニーの事を話す間、黙って話を聞いていたセブルスはどこか呆れたような顔を浮かべていた。

「そんな事で思い悩む必要はない」
「でも……」
「グレンジャーはグレンジャーで、タミはタミだ。私は私の娘がグレンジャーに劣るとは思っておらん」

もちろんルーシーも同じ気持ちだ。そう言ってくれる父に、落ち込んでいた気持ちが浮上していくのが分かる。自分が落ちこぼれのように感じていたが、セブルスが違うと言ってくれた。それが嬉しい。

「次の授業はもう少し優しくしてくれると嬉しいわ。今日だって、どう考えてもマルフォイより私の茹でたナメクジの方がいい出来だったもの」

やたらとセブルスに優遇されていたスリザリンのドラコ・マルフォイを思い出して顔を顰めれば、今度は頬にキスをされた。

「仕方あるまい。グリフィンドールに点数をくれてやるわけにはいかないのでね」
「パパのいじわる」
「次の調合も失敗しないように。それから、授業に遅れる事もないように」

やはり聞いていたのかと苦く笑ったタミの背中をぽんぽんと叩いてセブルスが片付けを再開する。あれは階段が悪いのだと訴えてみたけれど、返ってきたのは「早く慣れることだ」と投げやりなもので。頬を膨らませて背中にぐりぐりと頭を押し付けると、振り返らないままのセブルスの手がタミの背中をとんとんと叩いた。

「もう行きなさい」
「はーい。ハリーを慰めてあげなくちゃ」

ぴたり。手を止めたセブルスが顰め面で振り返ったのに手を振って、タミは軽い足取りで地下牢を出て行った。


賢者の石 09